ニュータウンはマンションの未来か /これまでの栄枯盛衰を考える
かつて日本の住宅を支えたニュータウンは今や課題が山積で、各地でさまざまな施策が打ち出されています。しかし問題の大きさ、根深さから簡単に解決できるものではなく、改善されたというニュースはほとんど聞きません。そしてニュータウンが抱える問題を見ていくと、マンションに通じる部分が数多くあることが分かります。今回はニュータウンを通じてマンションの未来を考えてみたいと思います。
そもそもニュータウンとは
ニュータウンには地方自治体や都市再生機構など公的な機関が開発したものと、民間企業が開発したものがあります。ニュータウンは開発時期も規模もさまざまで、法律による明確な定義がありません。そこで国土交通省は、ニュータウンを以下のように定義しています。
①昭和30年度(1955年度)以降に着手された事業
②計画⼾数1,000⼾以上⼜は計画⼈⼝3,000⼈以上の増加を計画した事業のうち、地区⾯積16ha以上であるもの
③郊外での開発事業
代表的なものとして、東京の多摩ニュータウンや神奈川の港北ニュータウン、大阪の千里ニュータウン、愛知の高蔵寺ニュータウンなどがあります。高度経済成長期の住宅不足解消のために全国に多く建設されましたが、現在は多くの問題を抱えるようになっています。
ニュータウンの歴史
①戦後の急速な人口増加
終戦直後の1945年の日本では、主要都市が焼け野原になったため住宅が420万戸も不足していました。さらに1950年代に入ると高度経済成長が始まり、都市部での住宅不足はさらに深刻化します。金の卵と呼ばれた中学校や高校を卒業した若者が集団就職列車によって大量に都心部に流れ込んだため、都市部は人口が過密になり多くの人が劣悪な住環境で生活することになりました。下図は東京都の人口の推移ですが、戦争で急激に人口が減った1945年から、高度経済成長により1975年頃までに人口が約3倍に増えていることがわかります。
②ニュータウンの造成
戦後の人口過密を解消するため、1955年に日本住宅公団(現在のUR都市機構)が作られます。バラック住まいの国民が多数いるため、国としては住宅不足の解消が急務だったのです。しかし高度経済成長期には、国の支援だけでは住宅は全く足りないため、都道府県や民間業者も宅地造成や団地の建設に乗り出しました。しかし民間業者は売り出しやすい土地を購入して販売する方法をとるため、都市計画の視点から見ると無秩序で無計画なものになり、土地の虫食い化(スプロール現象)が起こるようになります。また悪徳業者が無許可で開発行為を行う問題も頻発し、地価が安かった東京都多摩地区では宅地の半分が違法開発だったという話もあります。
先に書いたように、この頃は集団就職列車により、地方の若者が大量に都市部に流入していました。また東京オリンピックに伴うさまざまな公共事業は、東京に多くの労働者を集めることになります。東京だけでなくその他の都市部でも住宅は不足し、劣悪な住環境が常態化するようになります。
こんな状況から、1958年に大阪府は大規模なニュータウンの開発を決定し、61年に着工して62年には街びらきが行われます。これが千里ニュータウンで、初の大規模ニュータウンになりました。この成功は東京の多摩ニュータウンや、千葉県の千葉ニュータウンに大きな影響を与えました。これらのニュータウンは鉄道も併せて整備され、全国に大規模な雇用を生み出すことにもなります。ニュータウン建設は日本の経済を動かしていたのです。しかし1973年にオイルショックが起こり、その流れが一気に変わることになります。
③人口の転出超過
オイルショックの影響は大企業を直撃し、大きの企業が新卒採用を控えるようになりました。これにより集団就職が終焉し、地方から都市部への人口の流入がストップします。それどころから不景気から仕事を失い、都市部から田舎に帰る人も出てきました。これまで人口が増え続けていた都市部から、人が減り始めたのです。関東、関西、中部地区の人口増減を見ると、オイルショック以降に大幅な転出超過が起こっていることがわかります。
オイルショック翌年の1974年は経済成長率が戦後初のマイナス成長に終わり、人口減が始まった都市部の住宅不足は一気に解消します。しかしすでに全国各地でニュータウン計画は進行中で、新たな需要が見込めないのに住宅を作ることになりました。ところが都心部ではマイホームブームが起こります。量が満たされると質を求めるようになるのは食事に限らず住宅も同様で、住宅が余るようになったので自分でも買えると考えた人が増えたのです。そのため計画中のニュータウンは、マイホーム用に転用して販売するなど、大規模な計画変更が行われることになります。
特に規模が大きかった千葉や桃花台では、幾度にも事業縮小、変更、延長を実施することになりました。千葉ニュータウンは後にさまざまな問題を抱えることになりますが、最初の問題は開発中にすでに始まっていたのです。
④乗車率300%超えの通勤地獄
これまでになかったニュータウンが各地に建設され、そこから大量の人々が通勤に電車を使うようになると、通勤ラッシュが加速化しました。1963年には常磐線で乗客の揺り返しによってガラスが割れたと報じられていますし、1965年の読売新聞によると都内の電車の乗車率は300%を超えていて、毎日のように失神する乗客がいたと書かれています。冷房車が登場するのは1970年ですから、乗客は冷房もない車内に乗車率300%の寿司詰めにされて1時間以上も我慢していたのです。
この当時を物語るエピソードとして、国鉄がサンダルの貸し出しを行っていたり、駅の近くにボタンの付け替えを行う店があったというものです。混雑により靴が脱げてどこかに行ってしまうことや、背広のボタンが引きちぎれることが珍しくなかったというわけです。都心部で夢のマイホームを手に入れた人々は、失神しそうになる程の満員電車に毎日耐え続けなくてはなりませんでした。これは急激な人口増に加えて郊外化が急速に進んだことで、インフラ整備が間に合わなかったことに起因しています。
⑤ドーナツ化現象による遠隔地の住宅
このような通勤地獄は郊外に住んでいる人達を直撃し、郊外のマイホームは通勤地獄に耐えることが当たり前になります。すると駅の始発から乗れば座れるということで、さらに遠くに住宅地を作るようになりました。その一方で都心部はオフィス用途としての開発が進み、都心部から50km以上離れたところでも住宅開発が行われるようになりました。これにより都心部から人が減り、郊外の人口が増えるドーナツ化現象が発生します。
この現象はバブル景気によって、さらに加速します。地価の高騰により郊外の宅地もマイホームが入手困難になったため、都心部から70km以上離れたところにも宅地化の波が押し寄せます。こうして大阪府最北の能勢ニュータウンや、近鉄グループが三重県に開発した桔梗が丘住宅地などが生まれました。さらにバブルによる地価高騰は山奥にも宅地を生むことになり、京都府の茨木台ニュータウンや大阪府の北大阪ネオポリス(希望ヶ丘)などが生まれます。北大阪ネオポリスは、激しく揺れるバスで車酔いに耐えながら1時間もかけて最寄駅に到着するとメディアで取り上げられたりしています。
バブル景気はニュータウンを遠隔地どころから山奥に建設する流れに導き、都心部は巨大なドーナツ化によって人口が偏っていきました。これは後に行政にとっても、法人税は取れるが住民税の収入が極端に少ないという問題を引き起こし、今も一部では続いています。そして遠隔地にニュータウンが開発され、片道2時間以上かけて通勤する人を多く生み出しました。
⑥都心回帰の始まり
バブル景気が弾けると、都心部の地価が下り始めます。バブル景気の頃に建てられた遠隔地のニュータウンは人気を失い、多くの人が都心部に近い場所に住宅を求めるようになりました。さらに1997年に建築基準法が改正され、超高層マンションが建設されるようになると、都心部でタワーマンションブームが発生します。2000年代初頭には東京の江戸川区など東京湾岸でタワーマンションの建設ラッシュが始まり、湾岸戦争と揶揄されるようになりました。
これにより都心部の人口は増加し、都心回帰と呼ばれる現象が起こります。そのため遠隔地のニュータウンは空き家が目立つようになっていきました。しかし都心部の急激な人口増加は学校や保育所不足を引き起こし、江戸川区ではマンションの建設許可を一時的に出さない時期がありました。ビジネス街だった都心部に、一気に人が流入してきたのでこのような事態は必然で、多くの行政を悩ませることになります。そして都心部から遠方にあるニュータウンは、急激に人がいなくなっていきました。
ニュータウンが抱える問題
現在のニュータウンは、さまざまな問題を抱えています。大きく分けると以下のようになります。
①高齢化
②人口減少
③バリアフリー化の遅れ
④近隣センター等の衰退
⑤小中学校の遊休化
①高齢化
1970年代にニュータウンにマイホームを購入した人は、すでに70歳を超えている場合がほとんどです。ニュータウンの多くは、同じような年代の夫婦が同じ時期に同時に入居したため、一斉に高齢化を迎えている問題があります。以下は内閣府の資料にある千里ニュータウン(大阪)の高齢化率です。全国平均より高い割合で高齢化が進んでいることがわかります。
さらに以下の図は、神戸市垂水区にある明石舞子団地の高齢化率です。明石舞子団地は兵庫県と兵庫県住宅供給公社が開発を行い、昭和39年(1964年)に入居が始まりました。
この図を見ても高齢化率は全国平均より高く、少子率は全国平均より下回っています。同年代の家族が一斉入居し、子供達が巣立ってしまうと残された両親が高齢化を迎える流れが全国のニュータウンで起こっていて、高齢者が多いため子供を生む人も少ないのも当然の結果なのです。こうしてニュータウンは、少子高齢化が最も進んでいることになりました。
②人口減少
ニュータウンの初期の頃は、若い夫婦が入居して子育てが盛んでした。若い夫婦は子供を産むので人口も増加していました。しかし子供は成長すると独立して出ていき、高齢になった夫婦が子供産むこともないので人口は減る一方です。上記の高齢化により寿命を迎える人が増えていき、さらに人口が減るという問題になっています。
③バリアフリー化の遅れ
高齢者が多く入居者が少ないニュータウンでは原資が少ないため、バリアフリー化が遅れています。そのため高齢者が多いにも関わらず、高齢者が住みにくい状態になってしまっています。こうなると新規の入居者が来るはずもなく、ますます過疎化するという負のスパイラルに陥ってしまっています。
④近隣センター等の衰退
かつてニュータウンは多くの人口を抱えていたため、周辺にはスーパーマーケットや病院など多くの施設がありました。しかし人口減になるとそれら商業施設は撤退することになり、生活圏に商業施設が無くなっていきました。バリアフリー化の遅れは高齢者にとって住みにくい街ですが、商業施設の撤退はどの世代にとっても住みにくい街になってしまいました。
⑤小中学校の遊休化
少子高齢化が進んでいるため、小中学校のクラス数がどんどん減っています。以下のグラフは千里ニュータウン近郊の学校のクラス数です。急速にクラス数が減っていることがわかると思います。
マンションに共通する問題点
ここに挙げた問題点のほとんどは、現在の分譲マンションと共通していることがわかると思います。特に①から③の問題に関しては、多くの管理組合の頭を悩ませている問題で、築40年を超えるマンションの多くが直面しています。マンションが抱える負のスパイラルはニュータウンと全く同じで、若い世代が購入して子育てを終えると子供が独立し、高齢者だけがマンションに残っている状態です。高齢者しかいないので修繕積立金の値上げも難しく、あちこち傷んできても修繕ができないので新たな買い手も見つかりません。そのため古いマンションが、次々に廃墟になろうとしています。その経緯は以下の記事にも書いたので参照してください。
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・マンションの負のスパイラル /廃墟に向かうマンションの老い
しかしマンションからすると、④近隣センター等の撤退や、⑤小中学校の遊休化などは管理組合で解決できる問題ではありません。これを解決するには行政の協力が必要で、どれほどマンション住民が頑張ったところでどうにもできないのです。そのためマンションでは立地が重要とされており、どれほど建物が良くても立地が悪ければ敬遠されて資産価値も低くなってしまうのです。
ニュータウンの問題はマンションの未来を先取りしているように見えます。現在のニュータウンの問題は、これからマンションを襲う問題のように思いますし、すでに同じような問題に陥っているマンションもあります。都市計画がなく時代ごとに思いつくままに建設された住宅は、人口減によって大きな問題になるでしょう。ニュータウンの問題を知ることは、今後のマンションの行方を知ることができるのではないかと思います。