人はなぜマンションを建設するのか /集合住宅の歴史から見えてくるもの

不動産のセミナー会場で談笑していると、不動産業者の方が「そもそも何で人間はマンションを作り出したんでしょうね」と言い出し、別の誰かが「そりゃ、あなた方が儲かるからでしょう」と言って笑いが起こりました。会話は冗談に終始したのですが、面白い議題だと思ったので少し真面目に考えてみたいと思いました。人はなぜマンションを建設するのか?という問いの私なりの答えを書くと、過去2000年に渡って人口増加による土地の不足を解消するために集合住宅が作られてきたということになります。

最初の集合住宅

人類が初めて作った集合住宅(マンションやアパート)がどこのどれなのか、確認はされていません。古代エジプトの壁画に集合住宅のようなものが描かれていますが、それが本当に集合住宅だったのかは確認できていないそうです。そして歴史に集合住宅が間違いなく現れるのは、古代ローマ時代になります。古代ローマがパクス・ロマーナと呼ばれるローマ帝国の黄金時代にインスラと呼ばれる集合住宅が誕生しています。

古代ローマは多くの戦乱や内乱が発生しましたが、それでも覇権的な平和が維持されていました。領土拡大により多くの奴隷が流入し、ローマの人口は100万人を突破したと言われています。2000年以上前に100万人の都市を維持するのは容易ではなく、上下水道などもこの時期に発展しています。そしてローマの人口が爆発的に増えたことで、土地の不足が始まりました。地主はインスラと呼ばれる集合住宅を建設しましたが、住宅不足は解消しません。そこで地主達は住宅不足解消と更なる利益を求めて、インスラを増築しようとしますが、そもそも土地がありませんでした。そこで上階を増築して多くの人が住めるインスラを建設していきました。

レンガと木でできたインスラを、構造力学も発展していない時代に増築するのですから、あちこちで倒壊事故が発生しました。建物に大きなヒビが入ったので、賃借人もネズミも逃げてしまったと嘆く地主の手紙が残っているそうです。さらに高層のインスラには多くの問題がありました。上水道があっても上階まで水を運ぶポンプがないため、上階の住民は1階で水を汲んで階段で自分の部屋に上がりました。またトイレは壺などに用を足して、その壷を階段で下ろして下水道に捨てる必要がありました。そのため上階の方が家賃が安く、1階が最も家賃が高くなっています。階段で思い水や下水を運ぶのが面倒な住人もいて、用を足した壺の中身を窓から投げ捨てるなんてこともあり、衛生上の深刻な問題になります。またインスラは木を多く使っていたため、火事の問題もあったようです。

こうした事態を受けて、皇帝アウグストゥスはインスラの高さを20.7mに制限します。しかし王政の目を盗んで違法増築する地主は多く倒壊事故は続き、ローマ大火の後に皇帝ネロは17.75mに制限しています。古代ローマで集合住宅のインスラが建設されたのは、人口増加による土地不足、住宅不足の解消のためでした。

中世の集合住宅

ローマ帝国が滅亡した中世のヨーロッパは、暗黒時代になります。特に深刻なのは、14世紀に大流行したペストです。これによりヨーロッパの人口の1/3が死んだとも言われており、終末思想が流行って教会は免罪符を売ったりしていました。ペストの大流行により人口が減ると、集合住宅は流行りませんでした。しかしこの頃、ヨーロッパに火薬が持ち込まれます。火薬は戦争を大きく変えました。これまでヨーロッパの国々では、敵の侵入を防ぐために高い壁を作っていましたが、大砲による攻撃は壁を無効化しました。そこで城壁の周りに深くて広い濠を作るようになり、城塞都市が作られていきます。このように濠を持つ城塞都市は手間がかかるため、人口が増えても容易に都市を拡大することができませんでした。

また16世紀になると、車輪付きの乗り物が市民に普及します。車輪付きの乗り物が往来するには、広くてまっすぐな道が必要です。それまで多くの都市は狭く入り組んだ道が多かったのですが、都市計画によりまっすぐな道が作られるようになります。そして王様などは道路の中心に自分の銅像を設置して、自分の権威を高める努力をします。城塞都市により都市の拡大は難しくなり、広い道路を作るために住宅地は制限されました。そんな中、シトー修道会などによる農業革命が進んで農作物の生産量が高まり、餓死者が増えると人口が増加していきます。

ルネッサンス期の集合住宅

人口の増加に加えて、16世紀頃から宮廷文化が市民に広がるようになります。すると中産階級は王宮暮らしを夢見るようになりますが、彼らは王宮どころか城に住むこともできません。そんな機運がある中、フランスのアンリ4世は1605年から1612年にかけてパリにヴォージュ広場を作りました。大きな広場を囲む形で統一された外観の複数の住宅が並び、その景観はまるで巨大な宮殿のようでした。1人で王宮のような家を建てることはできませんが、みんなで住むことで王宮のような家に住むことが可能になったのです。広場のある住宅街というのは画期的な試みで、これはヨーロッパ各地で真似されるようになります。

※ヴォージュ広場

イギリスでは18世紀にアン女王が医者の勧めで温泉地のバースに滞在したことから、バースが活気づくことになります。そこに目をつけた建築家のジョン・ウッドが広場の周囲にある住宅を組み合わせて作るという計画を発案します。こうして1727年にクイーンスクエアが建設されました。外観は宮殿を意識したデザインになっており、王宮暮らしを夢見る人達に高い注目を集めました。ウッドは続いてキングズ・サーカスを建設し、集合住宅への人気が高まりました。この時代、国王や女王はファッションリーダーでありインフルエンサーでした。王宮のような場所に住むのは、時代の最先端だったのです。

※キングスサーカス

産業革命期の集合住宅

19世紀にイギリスでは産業革命が起こりますが、その前に農業革命が起こったことはあまり知られていません。中世以来の三圃制農業に代わって輪作法(ノーフォーク農法)が普及し、農作物の収穫量が拡大しています。またそれらの農作物を運ぶために交通が発展しました。産業革命の下地が作られていたのです。そして産業革命が起こると、都市部には地方から多くの労働者が集められました。急激な都市部の人口増加が始まり、バーミンガムの人口は1801年に7万1千人だったのに、1851年には26万5千人、1901年には76万人と増加しています。イギリス全体の人口も1750年の600万人から1800年に900万人、1850年に1800万人と増加し、1900年までには4000万人に達しました。この結果として深刻な住宅不足が起こり、都市のスラム化が急速に進むことになります。

※ロンドンのスラムと住宅の間取り

ロンドンでは急速に増える人口を収容するために急ピッチで住宅が建設されますが、住宅数は人口増加に追いつかないままでした。1つの土地になるべく多くの人が住めるように、そしてなるべく安く建てられることが求められ、狭くて質素な住宅が大量に建設されることになります。これらの多くは集合住宅でトイレなどは兼用だったので、衛生上の問題を引き起こすことになります。労働者の多くは、地方の農民だった人達です。彼らは収入が減ると自ら育てた農作物を食べて飢えを凌いでいましたが、都市部の労働者になると収入がなければ食べ物を買うこともできません。お金がなければ何もできず、餓死しないためには働くしかありませんでした。

近年の日本の集合住宅

このようにヨーロッパの歴史を見ると、人口増加によって土地や住宅が不足すると集合住宅が建設されてきました。戦後の日本も同様で、敗戦により焼け野原になった東京に労働力を集約させたため、中卒や高卒を金の卵として集団就職列車で学生を集めました。急速の人口増加が発生し、深刻な住宅不足が起こったために団地があちこちに建設されることになります。かつてのヨーロッパと同様に、日本も住宅不足が集合住宅の建設に向かわせたのです。

しかし現在の日本では、人口の減少が急激に進んでいます。今はまだ都心部で戸建てを購入することは難しいですし、マンションの人気が高いですが、このまま人口減少が続くと集合住宅の必要性は薄らいでいくでしょう。土地が余っていれば、集合住宅ではなく戸建てに住むのは現在でも地方都市を見れば明らかです。ここまで書いてきたように、マンションなどの集合住宅は古代ローマの時代から土地不足解消の手段として発達しました。ですから今後数百年のスパンで考えると、日本ではマンションが衰退していくのは避けられないと思います。

マンションに未来はあるか

人口減が進む中でマンションの可能性を考えると、イギリスのバースに作られたジョン・ウッドのクイーンズスクエアやキングズストリートなどでしょう。住宅不足という事情もありましたが、何より王宮のような家に住みたいという願いを集合住宅で叶えることに成功しました。このように集合住宅に、時代が求める新たな価値を与えられるかが大きな鍵になると思います。

今はまだ都心部でのマンション人気は高く、東京23区の新築マンションの平均価格が1億円を超えている状態です。しかし毎年40万人が減少する中で、この人気はいつか陰りが出てくるでしょう。その時に集合住宅でしか提供できない価値を提供できなければ、マンションは低所得者向けの住宅になるように思います。そしてこれまでの歴史が繰り返してきたように、繁栄した集合住宅が人口減によってスラムになる可能性は高いと思います。既に戦後の住宅不足解消のために建設されたニュータウンで、ゴーストタウン化が始まっているので、マンションが同じようになる可能性は否定できません。

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まとめ

集合住宅の歴史を見ていくと、古代ローマの時代から人口増加により土地が不足すると集合住宅が建設され、その後はスラム化するか人がいなくなって廃墟になっています。日本の集合住宅も戦後の住宅不足によって大量に建設され、現在は人口減が進んでいます。マンションの多くが廃墟になる可能性は否定できないでしょう。また現在の都心部ではマンションが人気ですが、都心部でも人口減が進めばマンションの必要性は減ってきますし、それより先に都市部でのマンションは不要になってくると思われます。それが100年後の世界なのか30年後の世界なのかはわかりませんが、マンションの需要と必要性がじわじわと下がっていくと思います。ではマンションに住んでいる人はどうすれば良いのか。それはまた別の機会に書いていきたいと思います。

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