マンションの歴史 02 /モダン建築の始まり
前回からの続きになります。西洋建築に目覚めた日本は、次々と和洋折衷の擬洋風建物を建設していきます。その波は木造からやがて鉄筋コンクリート造へと向かっていきました。
鉄筋コンクリート造の発明
19世紀にヨーロッパで始まった鉄筋コンクリート造は、建物の自由度を大きく広げる画期的な出来事でした。日本にも19世紀末から20世紀初頭に導入され、土木工事で使われました。これは建築工事にもすぐに用いられ、鉄筋コンクリートの住宅が作られるようになります。
日本の鉄筋コンクリート造
2013年に大ヒットしたNHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」では、日本の鉄筋コンクリート造の初期の様子が描かれました。東出昌大演じる西門悠太郎(ヒロインの杏の旦那役)が、鉄筋コンクリートを帝国大学で学んだのが1920年頃で、1923年に関東大震災が襲います。地震で崩れた木造建築に火事が襲い、未曽有の被害を出したことから一気に鉄筋コンクリート造の建物が増えました。「ごちそうさん」の西門悠太郎の設計は「安全で頑丈以外に、これといった個性がない」と言われていましたが、当時は悠太郎に限らず羊かん型の無個性の住宅が多く作られていました。
モダン建築
モダン建築は民族性や地域性に左右されない機能的で合理的なデザインを目指したもので、装飾性を排除したミニマリズムな建築でした。目指したのは機能美で、住み心地の良い住宅はデザイン的にも洗練されていくと考えられたのです。しかし没個性な四角い箱を作ることがモダンデザインと解釈され、「これといった個性がない」建物が多く作られたのです。これは日本だけでなく欧米でも同様で、後にモダン建築の衰退の原因にもなりました。
鉄筋コンクリートの住宅造り
上記のように関東大震災の莫大な被害は、日本の建築に大きな影響を与えました。壁や屋根が崩落して死ぬだけでなく、その後の家事による被害の大きさが、木造建築から鉄筋コンクリート造の建物へと意識を変化させました。大日本帝国政府は内務省の主導により、関東大震災の翌年の1924年(大正13)に、震災復興のために財団法人同潤会を設置しました。関東大震災の義援金の中から1000円を支出してこれを資本金にすると、国内の優秀な建築家が集められました。この同潤会が日本に鉄筋コンクリートの集合住宅を根付かせることになります。
次回は同潤会アパートです。