マンションの歴史 05 /四谷コーポラス
前回記事から読む 「マンションの歴史 04 /天国の100万円アパート」
宮益坂アパートメントの成功により民間業者も集合住宅に目を向け始め、社宅として分譲された武蔵小杉アパートなどが販売されます。そして1956年に日本信販が事業主となった四谷コーポラスが誕生します。日本初の民間分譲マンションの誕生です。
物件概要
事業主 日本信販(株)
敷地面積 996.33㎡
延床面積 2,290㎡
構造・規模 鉄筋コンクリート 5階建
総戸数 28戸
設計・施工 佐藤工業(株)
初の民間分譲マンション
まだ区分所有法が存在しなかった時代に、集合住宅は民法に定められた長屋の規定に沿って販売されていました。しかし専有部と共用部の区別がなく、持分比率も明確ではない時代です。そのため金融機関は住宅ローンを組むことができず、住宅金融公庫も集合住宅は対象外でした。
そこで日本信販は売買契約書に専有部や共用部を定義し、そして持分比率を記載して個々の契約者の同意を取り付けることにしました。こうして割賦方式(ローン)による販売を可能にしました。この時、日本信販が採用した方法が、後の住宅ローンに決定的な影響を与えることになります。この時のローンは年利12%の元利均等償還でした。
管理組合規約の策定
おそらく日本で初めて管理組合規約を定めたのが、四谷コーポラスです。購入者全員の管理組合への加入を義務付け、全員が集合住宅の自治に参加するように促しました。これは現在の標準管理規約に大きな影響を与えています。この標準管理規約を設置することは、その後にマンションを建設する不動産業者に真似され、やがて区分所有法に繋がっていきます。
間取り
当時は戸建ての間取りを再現した集合住宅が多く、四谷コーポラスは二階建住宅を再現したメゾネットを採用しました。1階に食堂などのパブリックスペースを配し、2階は寝室などのプライベートスペースになっていて、来訪者を1階で迎えるのに寝室などを見られないで済むようになっています。畳張りの和室がメインですが、当時としてはモダンな集合住宅になっています。メゾネットタイプのA型が24戸、平家のB型が4戸ありました。
画期的だったのは、契約者と売主が協議して間取りを決めるオーダーメイドの手法を取り入れていたことです。パンフレットに掲載されている間取りを、購入者が自由に変更することが可能でした。もっとも建築的な制約があるため、売主と協議することで間取りを決定する手法でした。このような売り方は現在でも一部のマンションで見ることができます。
四谷コーポラスの影響
画期的だったのは間取りだけでなく、共用サービスも実施したことです。外出時にはホテルのように、管理人に鍵を預けることができました。また管理人によるゴミ集め、洗濯クリーニングの取り次ぎなど、現在のコンシェルジュサービスも行っています。
四谷コーポラスの販売が成功したことにより、民間の集合住宅供給に拍車がかかりました。最大のネックだった住宅ローンの手法が確立され、金融機関も集合住宅のローンを検討するようになります。そして四谷コーポラスで実現した管理組合の形成方法は、後の区分所有法に大きな影響を与えました。
次回は高層マンションの登場です。
・マンションの歴史 01 /明治時代の西洋建築
・マンションの歴史 02 /モダン建築の始まり
・マンションの歴史 03 /同潤会アパート
・マンションの歴史 04 /天国の100万円アパート