国立マンション訴訟の影響 /デベロッパーが震撼した事件

知人からリクエストが来たので、今回は国立マンション訴訟を解説します。東京都国立市で2000年頃に発生したマンション建設反対運動に始まる一連の訴訟で、マンション業界に激震が走りました。後のマンション建設や販売にも大きな影響を与えた事件なので、細かく見ていきましょう。

事件の概要

マンションデベロッパーの明和地所国立市(くにたちし)の土地を購入し、マンション建設を開始しました。しかし近隣住民の建設反対運動が始まり、高さ20m以上の部分を解体するように要求します。明和地所はこれを拒否し、販売と建設を継続しました。ここから複数の訴訟が始まり、泥沼になっていきます。

マンション建設前の経緯

東京都国立市では高層マンションが多く建設されるようになり、景観が損なわれることが問題視されるようになっていました。そこで国立市は1998年に「国立市都市景観形成条例」を制定しています。1999年7月3日、あるマンション反対運動の集会において、国立市市長の上原公子氏が「このマンション問題も大事ですが、あそこの大学通りにマンションができます。はっきり申し上げて行政は止められません」と、18階建(高さ53m)の建設計画が別にあることを明かしました。現役の市長の発言という事もあり、この件は一気に広がっていきます。このマンションを計画していたのは、明和地所というマンションデベロッパーでした。

明和地所は7月22日に、大学通りの一角にある東京海上火災保険計算センター跡地(中三丁目)を購入する契約を結びました。さらに明和地所はマンション建設を進めるために、8月に「国立市開発行為等指導要綱」に基づく事前協議の届出を行います。この頃から、住民の建設反対運動が始まりました。国立市は10月8日、景観条例に基づきマンションの高さを銀杏並木(高さ約20m)と調和する高さにするように行政指導を行います。これに対して明和地所は建築物の高さを具体的に何メートルなら大丈夫か問いますが、「条例等には、何階建てならよいとか、何メートルならよいというルールは無い」という回答がありました。

明和地所は当初の18階建を諦めて、14階建に計画変更することを決めました。そしてこれ以上の計画変更には応じないと国立市に説明しています。その後の11月15日にマンション建設予定地周辺の住民が、8割以上の地権者の賛同署名を添えて、建築物の高さを20m以下に制限する内容を含む「中三丁目地区計画」の策定を求める要望書を市に提出した。これを受けて国立市は11月24日に「中三丁目地区計画」案を策定し、2000年1月31日の臨時市議会で「中三丁目地区計画」が可決され、翌2月1日に施行されました。

工事の開始

明和地所は12月3日に行政にマンション建設の許可を求める建築確認申請を行い、翌月に下付されています。そこで1月5日から根切り工事(土を掘る工事)を開始しました。工事を担当したのは三井建設と村本建設の共同企業体(JV:ジョイント・ベンチャー)です。

※根切り工事

周辺住民はこの工事の反対運動を行い、建設の差し止めを求める訴訟を起こしています。国立市も明和地所に対して景観条例に基づく勧告を行いました。しかし明和地所は計画を変更することなく工事は進め、2001年12月にマンションは完成しました。このマンションは「クリオレミントンヴィレッジ国立」という名前で分譲されています。しかし当然ながら分譲は苦戦したようで、竣工時に販売できたのは総戸数の1/3程度だったそうです。

複数の訴訟が発生

①「中三丁目地区計画」に関する訴訟

1999年11月24日に、「中三丁目地区計画」が可決されたことは先にも書きました。この決議が行われた国立市議会で、反対派の市議や議長が議会をボイコットしたため、臨時の議長を立てて条例を可決しています。その反対派の市議の一部が、出席した議員と上原市長を相手に議決の無効と損害賠償を求める訴訟を起こしました。これは東京地方裁判所が申請を認めませんでした。

②建設禁止の仮処分を求める訴訟

マンション建設を反対する住民が、建設禁止の仮処分を求めて東京地裁に抗告しました。こちらは2000年12月に、東京高等裁判所で却下されています。

③建物の撤去命令を求める訴訟

反対派の住民らが、マンションの20mを超える部分を撤去するように求める訴訟を起こしました。東京地裁は2000年1月5日に建築確認が下付されると同時に工事が始まっているものの、条例が施行される2月1日までは根切り工事(基礎を作るために地面を掘る工事)しか行われていなかったことを根拠に、工事が始まっているとは言えないと判断しました。そこで地裁は東京都が条例に従った是正命令を出さないのは違法だと判断し、反対派住民の勝訴となりました。

しかし続く東京高裁での裁判では、根切り工事が始まっていたため建設工事は始まっていたと判断し、東京地裁の第1審判決を取り消しました。反対派住民は上告しますが、最高裁判所は不受理を決定して明和地所の勝訴が確定しました。

④建物の撤去命令を求める訴訟(民事)

反対派住民は、マンションの20mを超える部分を撤去するように求める民事訴訟を起こしました。東京地裁は20mを超える部分を撤去することを認める判決を出しましたが、東京高裁は東京地裁の判決を取り消し、さらに最高裁も高裁判決を支持して、こちらでも明和地所の勝訴となりました。

⑤国立市への損害賠償訴訟

今度は明和地所が国立市を相手どり、営業活動を妨害されたとして損害賠償を求める訴訟を起こしました。東京地裁は上原市長の発言が営業妨害にあたるとして、国立市に4億円の損害賠償を命じました。しかし東京高裁は営業妨害があったことを認めつつも、明和地所にも強引な営業手法があったとして、国立市に2500万円の支払いを命じています。そして最高裁が上告を棄却し、国立市の支払いが決まりました。なお明和地所は、この損害賠償金を国立市に寄付しています。

⑥住民の国立市への訴訟

上記の明和地所への損害賠償判決を受けて、国立市の住民が損害賠償で支払う金額と同金額を上原市長に対して請求する裁判を起こしました。東京地裁は「市長として求められる中立性・公平性を逸脱した」として、国立市に上原市長個人に損害賠償金と同額を請求する判決を下しました。国立市は控訴しますが、市長の交代により酵素が取り下げられて、上原元市長に請求することが決まりました。

⑦上原元市長への請求訴訟

上記の判決により、国立市は上原元市長に損害賠償金の請求を行いましたが、上原元市長が支払いを拒否したため国立市が上原元市長を訴えました。東京地裁は国立市の請求を棄却しますが、東京高裁は上原元市長に対して全額の支払いを命じています。上原元市長は反対派住民らの協力を得て第三者弁済という形で、遅延金を含めた4556万円を支払っています。

激震が走ったマンション業界

マンション建設を行うには土地を購入し、設計が済んだら建築の許可を求める建築確認申請を行います。この建築確認が下付されたら、ようやく工事が可能になるのです。しかし国立マンション訴訟では土地を購入した後に、建築確認が下付される前に市議会が大急ぎで条例を可決しました。マンションデベロッパーからすれば、このようなやり方でマンション建設を阻止されるとなると、マンション事業が成り立たなくなってしまいます。私がいたデベロッパーでも、当時は「もう廃業だ」なんて声が飛び交っていました。

この件では、明和地所は裁判によってマンションの取り壊しや分譲の中止は回避できましたが、当初は18階建の予定を14階建に変更しており、販売戸数が減ってしまいました。営業戦略は大幅な見直しを迫られたはずです。さらに分譲中に相次ぐ裁判が報じられたいたため、販売はかなり苦戦したようです。マンション建設は銀行から資金を借り入れて行うため、竣工までに完売できなければ金利が重くのしかかります。最終的に明和地所は賃貸マンションとしての運営に切り替えており、事業計画が大幅に狂ってかなりの損害を出したようです。裁判を起こされたら販売に大きな支障が出てしまい、裁判に勝とうが負けようが大きな損失を被ることになってしまうのです。そのため、マンションの建設や販売という事業を行うものにとって大きな懸念になっていきます。

明和地所への批判

明和地所は、1986年に横浜市に設立した不動産業者です。マンションはクリオシリーズを展開しており、これまでに46,000戸以上の供給実績を誇ります。35年以上に渡って営業を続けてきた会社であり、関東圏に住む人ならクリオマンションを見たことがある人も多いでしょう。そんな明和地所は、国立市との訴訟では全面勝利だったのですが、批判も集めました。

上野公子市長は、市長選の公約として景観の保全を掲げており、国立市が高層マンションの建設に制限を加えるのは時間の問題になっていました。そんな中、明和地所は条例などが制定される前に滑り込みで高層マンションを建設しようとしたわけです。行政の方針に合わないと知りつつ、制限が加えられる前に建ててしまう行為に対して、企業倫理を疑う声が上がることになります。 

政治と行政への批判

批判は明和地所だけでなく、行政も批判されました。その批判の多くは上野公子元市長に対するものでした。テレビ取材に対して建設中のマンションに下水道管を繋がせないなどの対応も検討していると発言し、市長の権限を逸脱した言動が批判の対象になりました。またそれらの発言が裁判で営業妨害行為だったと認定されたことにより、現役市長が民間企業の営業活動を阻害した事例として残りました。

さらに市長の暴走を止められなかった国立市への批判も集まり、強引な手法を止める手段が市議会にもないことが問題視されることになります。実際には暴走する市長に対して市議の一部や議長がボイコットなどの手段で対抗しましたが、市長は臨時の議長を立てて審議を継続しました。これが上記①の裁判につながるのですが、結果として市長の暴走を止められなかったことが批判されることになりました。

マンションデベロッパーの対応

この事件から、マンションデベロッパーは建設反対運動に対して敏感になりました。事前にマンション建設運動が起こっていないかを調べ、建設地の近隣説明会も丁寧に行い、可能な限り近隣の要望を聞くように務めるデベロッパーが増えました。それを逆手にとって、近隣住民を束ねて金品などを要求をする怪しげな人物も多く出てくるようになります。この会社ゴロのような行為は、かつては暴力団が行うのが常でした。しかし暴対法により暴力団への締め付けが厳しくなり、暴力団ではないよくわからない人物が行うようになったため、対応に苦慮することになります。

まとめ

国立マンション訴訟は、マンションの建設販売に大きな衝撃を与えた事件でした。それまでは役所に建築確認を申請し、それが下付されたら法律的な問題はクリアしたと考えて安心して工事を行っていました。しかしこの事件で建築確認が下付されても、いつひっくり返されるかわからない状態になってしまいました。国立市の例は特殊で、他にでは起こらないという人もいましたが、その後に東京都文京区で小石川二丁目マンション訴訟が発生し、建築確認がひっくり返されたことで再び業界に激震が走ることになります。それはまた、別の機会に書いてみたいと思います。

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