江東マンション神隠し殺人事件 /セキュリティは役に立つのか

2008年5月25日、警視庁は江東区潮見2丁目のマンションで起こった、通称「江東マンション神隠し事件」で、33歳の派遣社員の男を住居侵入容疑で逮捕しました。ミステリアスな事件として話題だった事件が一気に解決に向かったことで、メディア報道は加熱し、さらに逮捕された男が以前から積極的にメディアの取材に答えていたため、容疑者の映像が何度もテレビで報じられました。今回はこの事件を元に、マンションのセキュリティについて考えてみたいと思います。

事件の概要

2008年4月18日、会社員の女性が警察に通報したことから事件が明るみになります。帰宅したはずの同居中の妹(以下、Rさん)が姿を消したと言うのです。姉は同日の午後7時11分にRさんに「今から帰るよ」とメールを送り、7時21分に「もう着いたよん」と返信をもらっていました。その後、帰宅すると鍵が開いており、玄関にブーツが脱ぎ散らかされていたこと、Rさんが購入したと思われる弁当が落ちていたこと、Rさんのピアスが落ちていたこと、さらに血痕があったため、午後9時16分に警察に通報しました。

このマンションはオートロックが完備されており、さらに防犯カメラも設置してありました。警察が防犯カメラの映像を調べると、Rさんが帰宅した正確な時間がわかりました。しかし再びRさんがマンションの外に出た形跡が見つからず、忽然とマンション内で姿を消したことになります。このためメディアは「江東マンション神隠し事件」として、現代のミステリーをリアルに報じることになります。

警察は全住民に事情聴取を実施し、メディアは事情聴取を受けた住民への取材を積極的に行いました。多くの住民が困惑し、中には迷惑そうに答える人もいました。そして失踪から1ヶ月以上過ぎた5月25日、警視庁は被害者宅の隣の隣に住む派遣社員の男性Hを住居侵入の疑いで逮捕しました。さらに1ヶ月後の6月18日、警視庁はこの男を殺人と死体損壊で再逮捕しました。家族の願いも虚しく、Rさんは既に殺されていることがわかったのです。

世間に衝撃を与えた犯行動機

逮捕されたHは2008年2月に、このマンションに918号室に入居しています。全体の1/3ぐらいが空き家の状態で、Hが住んだ9階にはまだ誰も入居していなかったそうです。Hはフリーのコンピュータープログラマーで、物心つく前にできた両足の酷い火傷跡がコンプレックスだったなど言われていますが、今回はその詳細は割愛します。そしてHが入居してから3週間後の3月1日に、916号室にRさん姉妹が入居します。オートロックや防犯カメラなどが付いていることが、入居の決め手の一つだったようです。

Hは3月に同階に住んでいる女性を目撃します。この女性はRさんの姉でした。Hは両足の火傷のコンプレックスから女性との交際経験がないだけでなく女友達もおらず、歪んだ思想の持ち主でした。後にmixiなどの書き込みから、異常性愛の持ち主だと言われています。裁判でHは女性観に関して、以下のように証言しています。

私はずっと自分を好きでい続けて、ずっと自分に尽くすことだけを考える女性でないと嫌でした。そんな理想的な女性は、アニメやマンガにしか登場しないかもしれないと気付いていましたが、そういう女性でないと嫌だったのです

公判3日目

私は声をかけた女性に、例えば彼氏がいたり私の好みじゃなかったりなど、思い通りでないといやだったので、声をかけることはあきらめていました。歩いていて、すれ違ったら突然告白してくれるようなことを待っていたのです

公判3日目

今ではアニメやマンガでもなかなか見られないような、突飛な女性との出会いを求めるHの妄想は、Rさんの姉を目撃してからさらに歪んだ思考に陥ります。そしてこのように考えるようになりました。

私は、私の考えを100%聞いてくれるような女性がいないことも分かっていました。なので、女性を拉致してセックス中毒にしてしまえば、私の言いなりになるような女性になると思ったのです。いつ私がキスをしてもいいように常に歯を磨き、髪形や洋服は私の好みに合わせる女性です。そのためには、元の女性の人格は邪魔でした。なので、拉致した女性をセックス中毒にして私の命令を聞くようにし、私だけが好きで私のことだけを考える人格に上書きをしてしまおうと思ったのです

公判3日目

これがHの犯行動機でした。衝撃的な内容に世間は震撼し、あまりの身勝手さに怒り、このような妄想を実行しようとする人間が実在する事実に恐怖しました。まともな大人なら現実性が全くないことがわかりますが、それがわからない異常者が近所に住んでいるかもしれない、同じマンションに住んでいるかもしれないという恐怖は計り知れないものでした。

周到な犯行の手口と短絡的な犯行

実はHは致命的な勘違いをしていました。Rさんの姉を見かけてから、女性が一人暮らしをしていると思い込んでいました。姉妹の二人暮らしだとは気づかず、行動の監視を始めます。毎日午後6時頃に帰宅するHは、Rさんの姉を非常階段やエレベーターホールで待ち伏せしようと考えます。しかし他人の目が気になり、自室の918号室で帰宅を待つことにしました。玄関で耳をすませ、916号室のドアがガチャっと開いて閉まる音を確認していました。毎日聞くことで、ドアを開くタイミング、閉めるタイミングを把握したのです。

4月18日金曜日、Hは自室の玄関で待ち伏せし、ドアがガチャっと開く音がすると同時に部屋を出ます。閉まるドアに手を差し込むと、玄関ではRさんがブーツを脱ぐところでした。Rさんが大声をあげて激しく抵抗したことに驚いたHは、馬乗りになってRさんを何度も殴っています。抵抗できなくなったところで着ていたコートを半分脱がせて腕を拘束し、室内にあったジャージを被せ、さらに部屋にあった包丁でRさんを脅して自室に連れ込んでいます。口にタオルを詰め込み、両手両足をビニル紐で縛り、マットの上に寝かせていました。

Hの予定では、土日を挟むのでしばらく失踪がバレないはずでした。しかしRさんと同居する姉が当日に警察に通報したため、午後10時20分頃に警察がHの部屋を訪問しています。居留守を使ってやり過ごしますが、警察のことが気になって外の様子を確認するためにコンビニに行くのを装って外に出ます。その際に警察官に声を掛けられます。916号室のことを何か知りませんか?と問われて、既に警察の捜査が始まったことを知ったHは焦ります。部屋を捜査されれば逃れようがないと考え、自室に戻るとRさんを刺殺して死体をバラバラにしてトイレから流しています。

休まずに遺体の解体作業を続けるHの元に、再び警察が4月19日の午前2時頃に訪問しています。シャワーを浴びている最中だったとその場を上手く誤魔化し続けたHは、同じく19日の午後に訪問した警察官を自室に招き入れています。5月1日までに遺体を全て処理しました。その間もHは何事もなかったように出勤し、帰ってくると遺体の処理を続けていました。

安全だと思われていたオートロック

この頃、世間ではまだまだオートロックの安全性が信じられていました。賃貸マンションも分譲マンションも、オートロック付きが宣伝文句になっており、オートロックがあれば安全だと思う人が多くいたのです。しかしマンションに携わる仕事をしている人の間では、既にオートロックの安全性に頼るのは危険だという認識がありました。この事件は、オートロックが持つ安全神話を完全に否定し、それを世間に知らしめた事件だったと思います。

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また防犯カメラも同様で、防犯カメラがあればあるほど安心という考えがありました。これは一概に間違っているとは言えないのですが、防犯カメラがあれば安心という認識に一石を投じました。基本的にこれらの防犯設備は、マンションの外部から侵入に対してのものです。マンション内の人が行う犯罪に対しては脆弱だという事実が、浮き彫りにされました。

最も危険なのは自室に入ること

以前から警察は、マンション内で身の危険を感じたら自室に戻るのを止めるように言っていました。自宅に入る瞬間が、最も危険だからです。今回のように自室の鍵を開けて部屋に入る瞬間に襲われ、自室内に犯罪者が一緒に入ってきた場合、部屋の中は密室になってしまいます。共用廊下では人目につきやすく、悲鳴をあげられると声があちこちに響いてしまいます。しかし室内に入られると、悲鳴は周囲に聞こえにくく、人目につかないので犯行が容易になるのです。

もし誰かが後を追うようにマンションに付いてきたら、自室に入らないようにしましょうと、以前から警察は言っていました。そのまま自室の前を通り過ぎて非常階段などで下に降りて人が多い場所に向かうのです。そこから警察に不審者がいることを連絡し、警察の到着を待ちます。例えば4階が自室だとして、4階にエレベーターで上がってから階段で再び降りるというのは、追ってついて来ている人から見ても異常な行動です。そのため警戒されていることがわかり、容易に手を出しにくくなるというわけです。

現在は、高級マンションであればあるほど、共用廊下と玄関の間にアルコーブと呼ばれるスペースがあります。邸宅をイメージさせる造りであり人気が高いのですが、アルコーブのために廊下から奥にある玄関前は周囲の目が届きにくく、犯罪者にとっては犯行がしやすい環境になってしまいます。そのため身の危険を感じたら、自室に戻らずに外に出ることが重要になります。

マンション内に住む凶悪犯をどうするか

同じマンション内にサイコパスな猟奇殺人者がいたら、どうすれば良いかという質問に明確な答えを私は持ち合わせていません。異常な妄想を抱き、それを実現しようとする人物には世間の常識が通用しないので、あまりに無力に感じてしまいます。しかしヒントはあるように思います。

この事件で犯人のHは、Rさん姉妹に人格を感じていないのは明らかです。Hは裁判で「相手は、若い女性だったら誰でも良かったのです。元々の人格は、消してしまえばいいと思ったからです」と語っており、Hが求めていたのは若い女性という器であり、Rさんは人ではなく器、またはモノとして扱われました。ですから拉致することや殴ること、殺すことにほとんど罪悪感を覚えていないような証言をしています。またHがRさんの名前を知ったのは、遺体を解体する際にRさんのカバンの中身を物色して知ったそうです。Hは1ヶ月近くRさん(またはRさんの姉)の行動を監視していますが、名前には全く興味や関心がなかったのです。

これは誘拐事件の際によく言われるのですが、犯人に向けたメッセージでは、被害者の名前を呼び続けることが重要だとされています。以前は被害者の家族がテレビで犯人に向けて「子供を返して欲しい」といったメッセージを出すことがありましたが、その際に子供の名前を繰り返し言い続けるのです。誘拐報道では被害者の実名が報じられ、その人となりも報じられます。これは犯人に対して、被害者はモノではなく人間なのだと自覚させるために行われます。モノであれば殺して埋めることにも躊躇しませんが、人であれば多くの人が躊躇するからです。

※映画「羊たちの沈黙」では、娘を誘拐された上院議員が「娘の名はキャサリン」と犯人に呼びかける場面がありました。

これをマンション生活に応用させると、同じマンションの人に自分がモノではなく、人間だと自覚させることが必要ということになります。引っ越ししてきたら隣近所の人に挨拶し、廊下などで会うと挨拶するのです。たまには「暑いですね」「工事の音がうるさいですね」などといったことも交え、自分も相手と同じ感情を持つ人間であることを伝えるのです。この事件で、HはRさん姉妹と全く会話をしていません。またRさん姉妹は、引っ越してきた際にHの部屋に挨拶にも行っていないようです。HにとってRさんは、マンション内で見かける若い女性というモノに映っていたのでしょう。

ただし私は犯罪心理学の専門家ではありませんので、周囲への挨拶が異常心理の犯罪者にどの程度の抑止効果があるか、そしてこれが正しい方法であるかは断言できません。外部からの侵入盗への対策として挨拶は有効とされているので、異常な犯罪者に対してもある程度の効果があるのではないかという、私の推測に過ぎません。

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まとめ

2008年に発生したショッキングな殺人事件の話題でした。この事件は裁判員制度のあり方に一石を投じるなど、さまざまな面に影響を与えました。検察側が犯罪の残忍性を伝えるための証拠資料を出し続けたため、遺族はショックを受けて次々と退廷し、裁判員もひどく動揺しました。この裁判は、その後の裁判員裁判に影響を与えることになりました。

防犯カメラやオートロックは防犯設備として完璧ではありませんので、過信してはいけません。マンションのセキュリティに、これさえあれば大丈夫というものはなく、どんな設備であっても絶対ではありません。そして不審者がマンション内にいて、身の危険を感じたら自分の部屋に戻らないようにしてください。部屋に入る瞬間が、最も危険なのです。

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