ゼネコン所長の金勘定 /ゼネコン業界の変化
私が ゼネコン に入社した90年代は、ゼネコンにとって試練の時期でした。バブル景気崩壊後にゼネコン各社は多額の負債を抱え、準大手の中には負債が1兆円を超えているところもあり、どこも倒産の危機を感じていました。そんな中、ゼネコンの内部にある不条理が、あちこちで問題になっていました。今回はゼネコン業界の変化と、ゼネコン所長の金勘定について書いてみたいと思います。
赤字覚悟の受注
多くのゼネコンにとって、公共事業は確実に利益をあげることができる仕事です。どのゼネコンも公共事業の受注を重視していて、談合がたびたび話題になっていました。特に公共事業の指名競争入札は、何度もメディアで問題視されてきました。実績がないゼネコンは入札に参加できないため、実績を積む機会もなく、いつも同じゼネコンが入札に参加していたのです。そして入札に参加する条件の中に、前年の完工高(売上)がありました。前年の完工高が1000億円以上、とか500億円以上という条件が示されていたのです。
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しかし時代はバブル景気崩壊後で、仕事が激減していました。私がいた中堅ゼネコンなどは、前年同様の完工高を維持するのが困難になっていて、他の中堅ゼネコンも同様でした。そこで完工高を増やすため、赤字になることがわかっていても民間工事を受注していました。会社が受注した額が5億円で、現場で見積もりすると7億円近くになるマンション工事なんていうのもあったくらいです。
赤字は所長の責任になる
会社として赤字覚悟で受注した仕事ですが、実際に工事が終わって赤字が出ると、赤字の責任は所長が負うことになります。ペナルティがあるわけではないのですが、所長の実績に赤字物件が加わることになり、その後の出世に影響してしまうのです。そのため所長は社内営業を展開し、ヤバそうな物件が自分に来ないか注意を払っていました。
日本の企業(役所も)では稟議書を使いますが、あれって最後にハンコを押した人が責任をとるものだと思います。しかし実際に最終印を押した人が責任をとったという話を聞かないですよね。多くの場合は担当者や担当部署の責任になってしまうのに、稟議書を回す時には上の人からいろいろ言われます。決める時に責任をとらない人が好き勝手に言うなら、稟議書は何の意味もないと思うのですが、それが当たり前になっています。
話を戻すと、赤字覚悟で受注した工事が赤字になると所長の責任になってしまいますが、利益がでたら営業の手柄になっていました。これは私がいたゼネコンだけではなく、JV(ジョイント・ベンチャー)で出向いたゼネコンも同じような感じでした。所長は不条理に感じながらも、何とか赤字物件に当たらないようにしていたのです。
貯金を作る所長
赤字物件の担当になってしまうことは、90年代に限らず以前からありました。そのため多くの所長は貯金を持っていました。予算が10億円の工事があったとして、9億円で工事を終えたとします。利益は1億円で、成績優秀な所長です。しかし会社には5000万円の利益として計上し、5000万円を貯金する所長が多くいました。
貯金のやり方は簡単です。例えば鳶の会社に工事を1500万円で発注していたのに、2000万円を払うのです。何か適当に500万円分の仕事をでっち上げて、追加工事として500万円を多く払うのです。こうして10社に500万円ずつ多めに払っておけば、5000万円の貯金が出来上がりです。そして赤字現場を担当することになった所長は、その5000万円を工事に使って赤字を回避するわけです。
当然ながら、これは不正の温床になっていました。現場を変わるたびに新車に乗っている所長がいたり、業者に預けたお金で自宅をリフォームする所長もいました。赤字物件に当たらなければ、使う機会がないので私腹を肥やすのに使うのです。90年代に入ってゼネコンも経営が厳しくなると、この貯金を取締るようになりました。発注の権限を所長から取り上げて、支店で行うようにしたのです。こうして所長は貯金ができなくなり、赤字を回避する方法がなくなってしまいました。
竣工間際にトラブルを作る所長
貯金ができなくなった所長は、赤字の工事を任されるのを避けるために社内営業を活発に行っていました。自分の現場が3月で竣工予定として、赤字物件の着工が4月になりそうだと知ると、現場でトラブルをでっち上げて残工事を作っていました。こうして4月の着工に自分は間に合わないとアピールすることで、赤字の工事を避けようとしていたのです。
こうして竣工間際に、何かよくわからないトラブルがあちこちで増えることになりました。所長としては会社の都合で赤字で受注したにも関わらず、その責任を負わされるのはかなわないのです。工事部長などは所長の責任にする訳がないと言っていましたが、人事考課では赤字額が算出されるので、その言葉を真に受ける人はいなかったと思います。
ゼネコンの淘汰
ここまで読んだ方は、ゼネコンというのはアホじゃないかと思ったかもしれません。実はゼネコンというのは、ほとんど競争原理が働いておらず、地縁や血縁を重視する特命入札が多くを閉めていました。そのため競争力を高めるよりも、有力者とのコネを作る方が会社の発展には重要だった時代が長く続いたのです。
ところが93年に自民党副総裁の金丸信の脱税事件に始まる、ゼネコン汚職事件が発覚しました。贈賄側(お金を渡した側)として、清水建設・鹿島建設・大成建設・大林組・三井建設・ハザマ・西松建設・飛島建設らの社長や副社長が逮捕され、収賄側(お金をもらった側)として、建設大臣・宮城県知事・茨城県知事・仙台市長などが逮捕されました。
さらに94年には、公共事業で一般競争入札が義務付けられ、外資の参入障壁を取り払う動きが加速しました。ゼネコンは従来の営業手法が違法と断じられ、競争原理が働く世界に放り込まれることになりました。90年代半ばから、ゼネコンの倒産が始まるようになると、ゼネコン同士の合併が始まりました。「ゼネコンの営業は地縁、血縁だから、合併など意味がない」と言われていた時代からは考えられない変貌です。
ゼネコンとマンション
開発案件や大型案件を除けば、ゼネコンにとってマンションは旨味がない仕事です。金額が小さく手間がかかり、アフターサービスに人件費を取られがちだからです。その割に利益率が低いため、スーパーゼネコンはマンション工事を避ける傾向にあります。また中規模程度のマンショであればスーパーゼネコンでは金額が合わないため、 デベロッパー も発注しない傾向にあります。この傾向に変化が訪れたのは、97年に法改正がありタワーマンションの建設に規制が緩和されたことに加え、ゼネコン汚職事件や外資の参入障壁が取り払われたからです。
スーパーゼネコンがタワーマンションを手掛けるようになると、マンション事業に関心を示さなかったゼネコンも参入するようになってきました。2000年代前半はこれまでマンション事業に積極的に参加しなかったゼネコンが、マンション建設を行うようになっていきました。リーマンショックまでは多くのゼネコンがマンション建設を行っていましたが、手間がかかる割には利益率が低いため再び敬遠するゼネコンも増えました。
その一方で、大規模修繕工事の利益率の高さに気がついたゼネコンが、積極的に大規模修繕工事を請けるようになっています。建築の玄人を相手にしなくて良い大規模修繕工事は監理が甘く、徹底したネゴシエーションも行われないため甘い見積書でも通ることが多くあります。マンションは建てるものではなく、修繕工事を行うものにシフトしています。ゼネコンとマンションの関係は、今後は建て替えなども絡めて変化していくと思われます。