現場から消えた職人達 /90年代の建設現場のこぼれ話

最近の建設現場は管理がしっかりしていて、あまり変な事件が起こることはなくなったと現場所長さんが言っていました。私が現場監督をやっていた90年代は、まだまだルーズな部分が残っていたため、突如として職人が現場から姿を消したなんて話もありました。今回は、そんな時のよもやま話を書いてみたいと思います。

作業中に姿を消したUB業者

400戸を超えるマンションの工事現場で、職人が全て帰ってから事務所で仕事をしていると、20時過ぎにユニットバス工事の番頭から電話が事務所に入りました。「ウチの者が一人帰ってないんですが、まだ現場にいるってことはないですよね」などと言うので、慌てて現場を再度確認しました。すると駐車場に職人の自動車らしきものが停まっていて、中には誰もいませんでした。ナンバープレートを確認して番頭に問い合わせると、間違いなくその職人のものでした。真っ暗になった現場に職人がいることがわかり、現場監督全員で現場内を調べることになりました。

行方不明のUB工は経験年数が短い若手で、ユニットバスの設置工事を行うのではなく、設置された後に部品を取り付ける作業をしていました。そうなると、1階14階まで全てが捜索対象になりますし、400戸以上の部屋の全てを探さないといけません。監督全員で手分けして、声を出しながら捜索を行いました。すると13階のユニットバス内で発見されました。ユニットバス内の小物を設置していたらドアが風で閉まってしまい、まだドアノブを設置していなかったので、内側から開けることができなくなったそうです。携帯電話を持っておらず、誰かが通りがかったら開けてもらおうと声を上げ続けていたのですが、疲れてしまい朝まで待とうと決めていたそうです。

ドアを壊して出ればよかったのにと駆けつけた番頭が言っていましたが、後で怒られると思って壊せなかったのだそうです。現在は職人が帰る際にも点呼を行う現場が多いので、こんなことを起こりにくいのですが、一時は最悪の事態も想定できたためにみんなで冷や汗をかいた事件でした。

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ある日から現場に来なくなった左官屋

埼玉県の大型マンションの工事現場での出来事です。私は左官屋を担当していたので、左官屋の親方とは毎日のように打ち合わせをしていました。そしてこの現場は競馬好きの職人と職員が多く、昼休みには競馬の話で盛り上がっていることがよくありました。特に監督の1人の予想は多くの職人の注目を集めていました。この監督は競馬に全く関心がないのに職人から「1から8までの数字で、好きなのを2つ挙げて」と言われ、適当に2つの数字を言っていました。2年ちょっとの工事でしたが、これが毎週のように繰り返され、そして絶対に当たらないと評判だったのです。そのためその監督「2.4」と言うと、職人たちはメインレースで「2.4」を外して予想していたのでした。

そんな現場で、左官屋の班長が月曜日から来なくなりました。左官屋は宿舎に住んでいるのですが、部屋にいなかったと親方は言っていました。二日酔いなのか、どこかで酔い潰れて帰ってこれなかったのかという話になり、明日は来るだろうと思っていました。しかし翌日も翌々日も来ませんでした。班長なので作業が滞ります。当時は携帯電話が普及し始めた頃で、その職人は携帯電話も持っていませんでした。そこで親方は奥さんが住んでいる自宅に電話をしたのですが、電話には誰もいませんでした。そこで親方は50人以上の左官工を集めて、誰か事情を知らないかと問いました。すると数人から、先週の競馬で万馬券を当てたのかもしれないと言い出しました。

「いくら買ったの?」「1万円買うって言ってました」「いや500円って言ってたぞ」「いやいや1000円だって」と証言がバラバラでしたが、1000万円以上は持っているんじゃないかという話になり、そこから左官屋職人総出で大捜索が始まりました。すると次の土曜日の夜に、消えていた左官屋が親方の部屋に現れて土下座したそうです。大金が当たったことを知ったその職人は、周囲にたかられると思って宿舎から逃げ出して奥さんの元に走り、住宅や自動車のローンを返済してから100万円を持って親方の元に帰ってきたそうです。そしてその100万円で50人の左官屋で土曜の夜から日曜日にかけてどんちゃん騒ぎをして許してもらい、月曜日から現場に復帰したのです。事件に巻き込まれたりしたんじゃないかと心配して損した気分でした。

宿舎から姿を消した左官屋

上記と同じ現場で、またもや左官屋の一人が来なくなりました。それも腕が良い左官工で、室内の難しい部分の左官工事を任せていたので大きな損失でした。親方に「なんで休んでるの?」と尋ねると「親が体調不良みたいだけど、何日かで戻るよ」と言われ、私は安心していました。しかし1週間経っても復帰しません。「また競馬でも当たったかな?」と親方に言うと「いや、もう少しだけ待ってくれ」と苦い顔で言います。なんだか変な感じがしました。

そして次の1週間も来ませんでした。親方はもうちょっと待ってくれを繰り返していましたが、流石に工程に遅れがで始めたので主任に同席してもらい、親方と話をすることになりました。親方はみんながいる飯場では話したくないと言うので、会議室で話を聞くことにしました。そして来なくなった理由は意外すぎる理由でした。親方は申し訳なさそうに、「あいつは上九一色村にいる」というのです。この時はオウム真理教の事件で、上九一色村に全国の注目が集まっている時期でした。強制捜査も間近と言われる時期で、なんでそんなところに左官屋がいるのかと尋ねると、親方は事の経緯を教えてくれました。

ある日、血相を変えてその左官工が親方の元を訪れ、父親が倒れたから3日ほど実家に帰りたいと言ってきたそうです。それなら仕方ないと帰したのですが、3日経っても戻ってきません。そこで携帯電話に連絡すると、まだしばらく帰れないと言ったそうです。それから私が何度も様子を聞きに来るので、その度に携帯に連絡していたのですが、まだ帰れないの一点張りで、親の容態が悪いと言われたら強くは言えなかったそうです。しかし具体的な親の容態についてははっきりしたことを言わないので怪しいと感じ始め、さらに携帯に出るたびに室内ではなく屋外にいることが、とても気になり始めます。

そこで親方が緊急連絡先にある実家に電話をしてみると、倒れたはずの父親が電話に出て驚きました。そして事情を話すと、その父親から真相が語られました。帰ってこない左官工の妹がオウム真理教に入信して連絡が取れなくなっており、上九一色村にいるという話を聞いたので、いてもたってもいられなくなり仕事を休んで現場に急行したのだそうです。親方がそのことを知ったのは前日のことで、すでに代わりの左官工の手配も済んでいました。その後、その左官工が現場に来ることはなかったので、本当に妹さんが上九一色村にいたのかどうかはわからないままでした。結局どうなったのか、本当に妹さんが上九一色村にいたのかは親方もわからないままだったようです。

まとめ

私が現場監督をやっていた1990年代の話なので、今はもっとしっかり管理されていると思います。過去にこういうこともあった、という程度の話だと思ってください。

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