タワーマンション人気の理由は江戸時代にあり
首都圏に住んでいると、あっちにもこっちにもタワーマンションを見かけます。ものすごく増えていますが、これは売れるから増えているのです。タワーマンションは市民の憧れなんですが、なぜ人は高い建物に憧れるのでしょうか?その理由は歴史を振り返ると見えてきます。今回の話はタワーマンション人気の理由は江戸時代にあり、です。
徳川家光のおふれ
話は江戸時代までさかのぼります。江戸時代前半の1649年、三代将軍徳川家光の時代に平民の家は3階建が禁止されます。さらにその後にも「家はなるべく低く建てること」というおふれが出ています。これは身分制度を維持するためのもので、平民が大名行列などで通る殿様を見下ろすのはけしからんというわけです。高い建物は領主のお城だけで、市民の住宅は平家か2階建までしか認められず、しかもなるべく低く建てなくてはいけませんでした。そして江戸時代後半の1806年には家の高さは二丈四尺、7.2メートルに制限されます。木造の二階建てでも低めに建てろというわけで、その高さが具体的に規制されたのです。
ところが人は押さえつけられると反発するものです。幕末になると幕府の統治も緩んで、お金持ちが高い家を建て始めます。この頃から立派な家を建てるのは大きさだけでなく高さで競うみたいな雰囲気が出てきて、お金持ちはどんどん高い家を建てるようになります。幕末から明治にかけて、高さを競うような建物が増えていくことになります。もちろん当時は木造の家ですが、高い家を建てるのは大工の腕の見せ所でもあったので多く建設されるようになりました。
地震による危険性
日本は地震が多いのです。明治時代に入っても沢山の高い建物が作られますが、地震の危険性を考えて、1920年(大正9年)に法律で建物の高さは100尺(31メートル)までに決まりました。つまり9階建ぐらいまでしか建てられないということです。これはイギリスの100フィート(30.48m)規制を真似たもので、100尺の根拠はイギリスの法律に近いという以外はあまりなかったとも言われています。しかし1923年(大正12年)に関東大震災が起こると、100尺規制の効果があることがわかりました。
1931年(昭和6年)にメートル法に変わると、31メートル規制として継続されることになります。戦後に建築基準法が施行されても31メートル規制は残ります。ところが戦後の建築ラッシュで、東京では土地が足りなくなりました。土地がないなら高い建物にしないと、住むところやオフィスが足りなくなります。そのため31メートル規制の撤廃を求める声が出るようになりました。
霞ヶ関ビルの竣工
31メートル規制と言いつつ、古いお城は60メートルも80メートルもありますし、そもそも国会議事堂なんて65メートルで建ってます。アメリカとかヨーロッパは高い建物ばっかり作ってるから日本にも欲しいよ!とみんなが思い始めました。国鉄の丸内本社を24階建てにしたいという声もでてきて、構造設計面からの検証が始まりました。1963年に建築基準法の法改正で容積率が導入されると31メートルを超える建物が法的に認められるようになりました。こうして1968年に霞ヶ関ビルディングが完成します。地上36階、高さ147メートルの超高層建築で、高層建築が日本にもできることを証明しました。
高層マンションの誕生
霞ヶ関ビルはオフィスビルですから、次は住宅も超高層で作ろうということになります。1971年、霞ヶ関ビルの完成から3年後に、東京都港区三田に三田綱町パークマンションが完成します。高さ52m、19階建です。「空に住む」なんてキャッチコピーで売り出されてすぐに完売したそうです。政財界や芸能界で成功した人がこぞって買いました。タワーマンションは、昭和に入ってから成功のシンボルになったのです。こうして高層マンションが作られるようになっていきます。
法改正の波
ここからバカバカとタワーマンションが建設されるかというと、実はそうでもないのです。高さの制限がなくなったとはいえ、日影の規制や容積率の規制があったので、都心部か川っぺり、海っぺりにしか建てられなかったのです。海や川のそばに家を買いたい人も多くはないでしょう。都心部では高値になりすぎますし、そもそも土地がありません。今のタワーマンションのブームが起こるのは、1997年に建築基準法や都市計画法が改正されて、タワーマンションが建てやすくなってからです。この改正で、川っぺりではなく、駅前の商業地域にタワーマンションが建てられるようになりました。
こうなると翌年には川口市にエルザタワー55という55階建、186メートルの日本一高いマンションが建設され、後は競争のようにタワーマンションが作られるようになりました。ちなみにエルザタワーは、ライオンズマンションを販売する大京が、ライオンを人工飼育する試みを映画いたノンフィクション映画「野生のエルザ」から名付けたのですが、今や大京の社員でも知る人が少ないようです。
まとめ
江戸時代に禁止された高い建物は、江戸末期から明治にかけて成功者がこぞって高い建物を建てるようになり、成功のシンボルになりました。大正時代に地震を理由に禁止されると、超高層建築が可能になった昭和には成功者が超高層マンションを買うようになります。成功者は高い建物に住み、下界を見下ろしたいのでしょう。こうしてタワーマンションは多くの人の憧れになりました。タワーマンション人気は最近のことのように感じますが、こうしてみると長い歴史の積み重ねのように感じます。