nLDKの呪縛 /マンションの間取りの歴史とこれから

日本のファミリー型のマンションの多くは、3LDKや4LDKといった表記で表されます。LDKとはリビング・ダイニング・キッチンで、これらが1つにまとまっているのが今や当たり前になっています。しかしかつての日本家屋ではこれらが1つにまとまる方が珍しく、nLDKスタイルは戦後の日本で急速に普及しました。今回はマンションの間取りの歴史と未来を考えてみたいと思います。

江戸・明治時代の日本家屋

江戸時代は大半の人が農民の小作人だったため、地主の家の納屋に寝泊まりすることが多かったようです。家を持つのは地主や武士で、小作人以外の町人は長屋に住んだりしていました。

※明治時代の間取りの一例

明治に入ると洋風建築が入ってきて、和洋折衷の建築が見られるようになります。上の図は明治時代の間取りの一例です。従来の日本建築にある連続する和室がある傍ら、洋室がついています。この間取りの特徴として広いせいもありますが、住人のプライベートスペースと客人が使うパブリックスペースを分けることが可能になっています。

食寝分離の考え方

1942年、同潤会アパートに関わった建築家の西山夘三が、論文「住居空間の用途構成に於ける食寝分離論」を発表します。当時の日本の住宅の多くは、朝目覚めると布団を片付け、その部屋で食事をしていました。しかし西山は深夜帰宅や早朝出勤などの家庭内の生活時間のズレや、布団を片付けた際に舞い散る埃の中での食事、食卓が固定されることで家事が軽減されることを唱え、寝る部屋と食事をする部屋を別にする「寝食分離」の必要性を訴えました。

※西山夘三 出典:NPO法人西山夘三記念すまい・まちづくり文庫

西山は住み方調査を実施し、多くの家庭で寝るスペースを過密にしてでも食事スペースと分離している家庭が多いことを突き止め、「寝食分離」を「秩序ある生活にとって最低限の要求である」としました。それまで日本の住宅は畳が多用されているため、部屋を何にでも転用できる「食寝転用」が主流でしたが、西山はこれに真っ向から反論したわけです。

戦後復興で始まった住宅供給

太平洋戦争が終わった1945年12月、戦災復興院が生まれます。これは現在の国土交通省で、戦争で住宅を失った国民に住宅を届ける使命を帯びていました。まだ国民の多くは瓦礫から使える廃材をかき集め、バラックで過ごしていた時代です。安価に建設できる木造建築の大量供給が唱えられる中、戦災復興院総裁で建築家の阿部美樹志は、鉄筋コンクリートの建物にこだわります。アメリカで鉄筋コンクリートを学んだ阿部にとって、戦後復興において耐火性は絶対に外せない条件だったのです。

※1946年東京渋谷区恵比寿の様子

阿倍の指示を受けた建築家の吉武泰水は、大量供給が可能で安価な家賃で住める鉄筋コンクリート住宅の研究を始め、その中で西山夘三の「寝食分離」の思想に影響を受けます。こうして1951年に吉武は51A、51B、51Cという3タイプの間取りを発表しました。この中で51C型は狭い空間を合理的に使った間取りとして、その後のマンション建築の基本プランとなっていきます。55年に日本住宅公団(現在のUR)が誕生すると、51C型は公団の標準プランになりました。

※51C型の間取り 出典:UR都市機構

51C型が画期的だったのは、台所と食事スペースを合わせた部屋を作ったことです。調理・食事・家族の団らんをこの一部屋で可能にした台所と食事スペースを合わせた部屋を作ることで、狭いながらも合理的な動線を備えていました。この部屋は、後にダイニングキッチンと呼ばれるようになります。51C型は現在では2DKと呼ばれる間取りで、わずか40㎡程度の広さながら家族が機能的に暮らすことを可能にした画期的な間取りでした。

アメリカのTVドラマが変えた意識

1953年に始まった日本のテレビ放送は、まだまだ放送する番組が不足していました。そのためアメリカのテレビドラマが大量に放送されるようになります。「パパは何でも知っている」「アイ・ラブ・ルーシー」といったホームコメディも多く、日本人はテレビを通じて戦勝国アメリカの一般家庭を知ることになります。広い庭にびっしり生えた芝生、そして女性は機能的なキッチンで軽やかに家事をこなし、ダイニングテーブルで家族団らんのある生活は日本人の憧れになりました。

※「アイ・ラブ・ルーシー」

1957年、日本住宅公団は東京北区の板橋に建設した蓮根団地に、51C型からさらに進化した2DK55型を採用しました。広くなったダイニングスペースに備え付けのダイニングテーブルを設置し、ステンレスキッチンを採用します。日本住宅公団はキッチンメーカーと共同でステンレス製キッチンの開発を行い、近代的な住宅のシンボルになっていきます。アメリカのテレビドラマのような住宅に憧れていた日本人に、ダイニングルームは必須となっていきました。

※2DK55のダイニング 出典:UR都市機構

リビングルームの登場

60年代に入ると従来の「居間」「茶の間」に代わり、リビングルームが登場しました。リビングルームの登場によりソファが持ち込まれ、テレビのデザインは木製の家具調になっていきます。こうして居間の景色は一変しました。

※昭和のリビングルーム

昭和の戸建て住宅には「居間」の他に「応接室」がある場合もありました。家族が過ごす畳の居間と、来客用の応接室を分けることでプライベートなスペースとパブリックなスペースを分けていたのです。しかしリビングルームは家族が過ごす部屋でありながら、来客用の応接室というプライベートとパブリックな2つの役目を担うことになりました

家族がくつろぐ部屋は散らかりやすく、物が多くなりがちです。しかし来客用でもあるリビングは急な来客に備えて常に片付けておかなければならないため、最も散らかりやすい部屋を常に片付けておく必要が生じました。また田の字プランに代表される今日のマンションのプランは、玄関寄りに寝室があり廊下の先にリビングがあります。来訪者はプライベートスペースのそばを通ってリビングに行く必要があり、プライベートとパブリックの混線が見られるようになりました。

nLDKスタイルが日本に浸透した理由

プライバシー重視

従来の日本家屋は、連続する和室を襖で仕切った間取りでプライバシーがありませんでした。イギリスで生まれたプライバシーは、イギリスの住宅を部屋で細かく仕切るようになりました。18世紀の産業革命で職場が家から工場に移り、家は完全な私生活の場になります。やがてその考えは日本にもやってきました。

日本では1961年、三島由紀夫の小説「宴のあと」をめぐる裁判が話題になり、プライバシーが流行語になりました。日本住宅公団のnDKスタイルは、このプライバシーとも一致していて、各部屋を仕切るスタイルが日本にも浸透しました。

日当たり信仰

日当たりが良い家というのが日本人が住宅に求める第一条件です。リビングはその家の中心になるため、リビングには日当たりの良さが求められます。そのためリビングは廊下から最も遠い、バルコニー側に配置されるのが一般的になりました。

狭い面積の最大利用

日本住宅公団のnDKスタイルは、短期間に大量の住宅を供給するため狭い住戸を大量に生み出しました。その狭い住戸を最大限に利用する間取りがnDKスタイルで、調理と食事と家族団らんができる部屋としてダイニングキッチンが活用されました。現在はnLDKスタイになりましたが、LDKの用途も調理と食事と家族団らんです。

リビングアクセススタイルの提案

nLDKスタイルは各部屋のプライバシー性が高まる反面、子供がいつ帰ってきたのかわからないといった問題が指摘されています。そのためリビングアクセスと呼ばれる間取りを提唱する人もいます。これは玄関がリビングルームに直結した間取りで、欧米では比較的よく見られる形式です。

下の図はアメリカのロサンゼルス市のメゾネットタイプの集合住宅ですが、玄関から入るとリビングに入るようになっています。2階の居室にはリビング経由でないと行けない間取りです。

下の間取りはシンガポールのマンションです。左上のリビングの横についているドアが玄関になります。リビングとダイニングを通らなければ、他の3部屋には入れないようになっています。典型的なリビングアクセスの間取りです。

リビングアクセスはどの部屋に行くにもリビングを経由することになり、プライバシー性は低くなりますが、家族のコミュニケーションがとりやすくなると言われています。また玄関先にリビングを配することでパブリックスペースとプライベートスペースの切り分けが可能になります。

※リビングアクセスの概念

しかしこのような間取りは日本人に馴染みがなく、玄関とリビングが直結することに抵抗感があるため普及するには至っていません。しかしこの間取りに利点があるのも事実で、戸建てを中心に普及しようという動きもあります。

まとめ

日本の集合住宅の間取りを駆け足で説明し、リビングアクセスという考え方を紹介しました。もちろん従来の間取りにはメリットが多く、特に狭いスペースでは調理・食事・家族の団らんを兼ねたLDKというスタイルが有効だったのは間違いありません。しかし一方で、100㎡を超える住宅でも同じような間取しか採用されていない現状には疑問もあります。今後はリフォームなどによって、多様な間取りが実践されていくでしょう。

マンションを買う際、リフォームをする際には視野を広げてさまざまな間取りを見ていくと、自分に合った面白い間取りが見つかるかもしれません。

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