建て替えを前提にしていないマンションの現実
第一次マンションブームが始まった1960年代から、日本のマンションは建て替えることを想定せずに造られてきました。近年の日本ではバブル期以前に建てられたマンションの建て替えが話題になっていますが、現実に建て替えができるマンションはほとんどありません。今回は建て替えができない理由と、建て替えを前提にしていないマンションの現実を解説します。
全員の賛成が必要だった建て替え
マンションを建て替える必要が出てきた時、マンション管理組合は総会を開いて決定します。当初、マンションを建て替えるには住民全員の賛成が必要でした。1人でも反対がいれば、建て替えはできなかったのです。これではマンションの建て替えなどできるはずもなく、地震で倒壊でもしない限りは建て替えは不可能に等しい状態でした。
もし全員が賛成したとしても、他にも問題が山積していました。マンションを建て替えるとなると、解体費と建設費をまとめて数億円になります。金融機関から借りることができたら良いのですが、管理組合は法人ではないので借入が困難でした。さらに建設会社と結ぶ工事請負契約も同様で、法人格のない管理組合とは契約を結ぶことが難しかったのです。
そして金融機関からすると、マンションを購入した時のローンで設定した抵当権の問題がありました。住民全員が住宅ローンを払い終わっていれば良いのですが、ローンが終わっていない人がいると、借金のカタが取り壊されることになってしまいます。それでは金融機関も困ってしまいます。
このようにマンション建て替えようとすると課題が山積みで、そもそも建て替えを考えていなかったのではないかと思われます。そもそもマンションが建設されるようになった、時代背景を考えてみたいと思います。
戦後の住宅不足
戦後の日本は空襲により焼け野原になり、バラック小屋が次々に建てられていきます。住宅は420万戸が不足し、ホームレスが溢れていました。バラック小屋は災害による被害が予想され、早急に住宅を供給することが求められていました。さらに民間の資金難が深刻だったため、家を建てたくても建てられない状況が続いていました。
そこで1949年に、住宅を建てる人に資金を貸し出す住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)が発足します。これはある程度の蓄えはあるものの、家を建てるほどの額を持っていない人に役立ちました。蓄えを頭金にして、公庫から借りたお金で住宅を建てられたのです。さらに1951年に公営住宅法が成立すると、あちこちに公営住宅が建設されました。低所得の人でも住める住宅を供給することで、まだまだバラック住いが多い日本の住宅事情を変えようとしたのです。
分譲マンションの建設
そんな中、東京都は渋谷に共同住宅を建設して分譲しました。1953年に完成した宮益坂アパートメントです。当時は区分所有法もなく、管理規約もありませんでした。住宅金融公庫をはじめとする金融機関は、集合住宅のローンを扱っていなかったのでローンすらありませんでした。宮益坂アパートメントは、以下の記事で詳しく書いています。
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そして1955年に、年間42万戸の住宅供給をめざして日本住宅公団(現在のUR都市機構)が設立します。1954年の住宅供給数が30.4万戸しかなかったため、42万戸は野心的な目標でした。日本住宅公団はダイニングキッチンを導入するなど、日本の集合住宅をリードしていきました。当時の庶民の憧れの住まいは、日本住宅公団の間取りだったと行っても良いでしょう。
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宮益坂アパートメントの成功は、民間業者の目を分譲マンションに向けさせました。日本信販は1956年、初の民間分譲マンションである四谷コーポラスが誕生します。四谷コーポラスでは住宅ローンによる販売が初めて行われ、購入者が管理組合に参加することが義務付けられました。分譲マンションの自治が四谷コーポラスから始まったのです。
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未来のことより目の前の住宅不足
このようにマンションの歴史を見ていくと、マンションの緊急課題は住宅不足の解消だったことがわかります。何十年先の建て替えなど考える余地もなく、とにかく大量に住宅を供給することが重要だったのです。日本住宅公団が推進し、民間業者がそれを追う形でマンションは全国に建設されていき、とにかく大量に造ることが最も重要だったのです。
そしてマンションを分譲してみると、現金でしか買えないマンションの買いにくさが浮き彫りになり、ローンの整備が必要になりました。そして住み始めるとさまざまな問題が出てきて、管理組合の結成やマンション内のルールをいかにして守らせるかといった課題が出てきました。
マンションを買った人の権利や、マンション内で守るべきルールを定めた区分所有法が公布されたのは1962年です。マンションをめぐる住宅行政は、住宅不足に始まる諸問題を駆け足で片付けながら、国民全員が家に住めることを目指してきました。その中で、40年50年先の建て替えなど、考える余地もなかったのだと思います。
建て替えを阻むもの
マンションを建て替えるには、総会を開いて住民(正確には区分所有者)の4/5の賛成が必要になります。地震などで壊滅的な被害を受けているならまだしも、4/5の賛成を得るのはかなり難しいのが現状です。住民が解体費用と建設費用を負担しなければならず、1世帯あたり数千万円を支出することになるからです。これほどの費用を負担できる住民ばかりのマンションで、建て替え意識が高い住民がほとんどのマンションでなければ、建て替え難しいと言えるでしょう。
実際に建て替えを行ったマンションがどれくらいあるかというと、国土交通省の資料によれば平成25年の時点で183棟です。マンションのストックが600万戸ある中で、これは極めて少ない数字だと思います。
実際に建て替えを実施したマンションのほとんどは、容積率が余っているため部屋を増やすことが可能な物件です。多く造った部屋を売却することが可能になり、その売却益を建て替え費用に充てることが可能だったのです。この件については、また改めて詳しく解説したいと思います。
まとめ
日本のマンションは、逼迫する住宅難を背景に一気に増えました。マンションを建設しても、どうやって購入するか、どうやって大勢が生活するかと行った問題が山積みで、それを一つ一つ処理しながら歴史を積み重ねてきました。目の前に問題が山積みの状態で、数十年先の建て替えまで考えるのは難しかったでしょう。建て替えの問題は先送りにされ、現在に至ります。
政府は遅ればせながら2002年に「マンションの建替え等の円滑化に関する法律」を施行し、何度も改正して建て替えの促進を図っています。残念ながら効果は出ていないのですが、今後も法改正を繰り返すことで建て替えが促進される可能性が出てくると思います。1970年代に建てられたマンションが築40年を超えており、建て替えを検討するマンションが増えてきました。今後、どうなるかを注視したいと思います。