構造計算書偽装事件の中、デベロッパーは何をしていたか

前回は構造計算書偽装問題とは何だったのか、その後どうなったのかについて書いてみました。今回は姉歯建築士による構造計算書偽装問題が発覚してから、マンションデベロッパーがどのような対応に追われたかを書いてみたいと思います。当時の私はマンションデベロッパーの品質管理室にいて、まさにこの問題の最前線にいました。1年以上に渡り、この問題の対応を行うことになるのですが、それはまさに混乱の極みでした。

前回記事
姉歯事件とはなんだったのか /構造計算書偽装問題

その時どう思ったか

2005年11月7日、国土交通省が20棟のマンションと1棟のホテルで構造計算書の偽装が見つかったと公表したニュースを聞いた時、私はかなり驚きました。これが国交省の発表がなく新聞などの独自取材なら、報道する側が何か勘違いして間違ったニュースが流れていると思ったでしょう。そのくらい構造計算書を偽装するというのは考えにくいことでした。あまりにもハイリスクであり、リターンが少ないからです。

マンションの建設はスピードが命です。デベロッパーは銀行から土地の購入費やマンションの建設費を借りて、事業を始めます。そのため着工が遅れれば遅れるほど金利が嵩み、利益を圧迫します。構造計算書を偽装して鉄筋量を減らしたらコンクリート強度を下げれば、確かに利益は得られます。しかしそれが見つかって構造計算のやり直しとなれば確認申請が遅れてしまいます。ましてや意図的に偽装した可能性があれば、建築主事だろうが民間の検査機関だろうが確認申請を止める可能性が高いです。そうなると偽装でケチった金額など、簡単に吹き飛んでしまいます。

建築士にしても同様で、民間マンションの設計料金は、驚くほど安くなっています。意匠設計の会社が驚くほど安いのですから、そこから仕事をもらう構造設計士は、さらに安い金額で仕事をしています。数字がおかしいとなれば計算のやり直しが出てきますし、同じ物件を2度も計算していたら儲けがなくなります。何より信頼が失墜しますし、刑事事件になる可能性もあります。

このような偽装は社会的に信用を失墜させますし、どう考えても割が合わない愚かな行為です。ですから最初にニュースを見た時に、にわかに信じられなかったのです。

参考
姉歯建築士による構造計算書偽装物件一覧(国土交通省)

ざわつく社内

「これまで販売した全物件で、姉歯建築士が関わっていないか調べろ」というのが、経営陣からやってきた指示でした。私がいたデベロッパーは、これまでに5000棟以上のマンションを販売しています。5000棟もの構造設計を誰がやったのか調べるのは困難で、建築系社員のほとんどが取り掛かることになります。50人以上の社員が、一斉にメールと電話とファックスで設計事務所に連絡し始めました。あっという間にファックスはパンクして紙が散乱し、方々から「なんとか調べてくれよ」と電話で懇願する声が聞こえ、社内はグチャグチャになっていきました。

さらに過去の物件には廃業しているところも多く、調べられない物件が出てきました。途中で、そもそも姉歯設計はいつから開業しているのか?という疑問が出てきましたが、そんな情報がない間は全物件を新しいものから過去に遡って手当たり次第に調べていたのです。とにかく何かあれば人海戦術という社風で、しかもスマートに仕事をしていたら「危機感がない」「他人事だと思っている」なんて言い出す人がいるので、なるべく大騒ぎしながら作業するというのが当然だったのです。

こんな社内で私が何をしていたかというと、私は何もしていませんでした。部長から「お前は自分の仕事をしろ」「手伝って欲しい時は声を掛ける」と言われていたので、マイペースに仕事をしていました。当時の私は社内で誰も手をつけていない仕事をしていることが多く、私が偽装問題に関わるとそれらの仕事が止まるので、てんやわんやの社内で1人だけ大人しく作業をしていました。怒号や悲鳴が飛び交う事務所を離れて業者と食事をしたり、電磁波が人体に与える影響を大学に聞きに言ったり、ベンチャー企業を訪問して打ち合わせをしたりと、のほほんと過ごしていたわけです。

鳴り止まない電話

5000棟以上のマンションを販売しているということは、数十万の家族が住んでいるということになります。「ウチのマンションは大丈夫でしょうか?」といった問い合わせが殺到したため、専用ダイヤルを作って電話対応をするメンバーが指名されました。デリケートな問題に発展するため、対応するのは建築系部署の部長、副部長に加えて、アフターサービスセンターのセンター長も常駐して対応を行いました。

この時、建築系部署は二分され、電話対応をするチームと過去の物件の構造設計士を調べるチームに分かれていました。部長達は電話対応室に18時まで詰め、その後自分のデスクに戻るので、一斉に報告や相談が始まります。必然的に深夜残業が常態化していき、社員の疲労も溜まっていきました。私はそんなみんなを尻目に8時頃には帰っていたので、なんであいつだけ?と陰口を叩く人もいたようです。

NGが出た

この頃、姉歯建築士が関与していないことが分かったマンションには、姉歯建築士は関わっていませんという文書を発行していました。しかし構造計算書偽装問題が社会問題化していくと、民間検査機関で確認申請を行った物件は信用できないという風潮が生まれました。

そのため問題がない物件でも、もう一度構造計算をやり直してくれと言う人が増えてきました。しかしほとんどの構造設計士は、自分が行った構造計算の再計算は引き受けるものの、他人が行った計算書の再計算は嫌がりました。万が一エラーが出ても、他人の計算だと処理の仕様がないからです。また再計算するにしても費用の問題がありました。電話してくる人達の多くは売主責任を理由に、こちらの費用負担で再計算するべきと言います。

いろいろな経緯があったようですが、費用を会社持ちで再計算することになりました。そこで問題なければ「再計算しても問題ありませんでした」という文書を発行しました。しかし複数の物件でNGが出たのです。自社でも構造計算書の偽装が見つかったのか?箝口令が敷かれたわけではありませんが、関係者が極端に口数が少なくなったので、すぐに何かあったと私は気付きました。この問題は経営陣を交えて、慎重に対応することになりました。

再計算は意味がない

再計算でNGが出て、自社物件にも偽装が見つかったのかと動揺が走る中で、元構造設計屋の品質管理室の課長達は冷静でした。NGが出るのは当たり前だと言うのです。門外漢の人にはわかりにくいのですが、簡単に言うと計算ソフトのバージョンが問題なのだそうです。ほとんどの建物は、コストをなるべく抑えるために建築基準法ギリギリで設計されます。建築基準法で定められた耐震強度を1.0とすると、1.01とか1.03を狙って設計するわけです。もし1.1になると、最低限必要な耐震強度の1割増しですから、販売価格にも上がってしまいます。そこで構造設計は、いかに効率的で経済的な構造にするかも重要なのです。

この計算はソフトウェアで計算します。仮に10年前の物件ではA社のソフトウェアのバージョン3.1で計算されたとします。しかし10年の間にソフトウェアはバージョンアップを繰り返し、現在はバージョン4.7だったりします。するとバージョン3.1で計算すると1.01だったものが、バージョン4.7で計算すると0.98などになってしまうことがあり、NGと判定されてしまうのだそうです。

そのため構造計算書に問題がないか再計算するには、ソフトウェアをバージョンダウンして、当時のバージョンにしなくてはならないのだそうです。そんなことはあるのかと疑問の声もあがりましたが、実際にそういうものなのだそうです。そのため単に再計算してNGが出たから偽装だとか計算ミスがあったとは判断できないそうで、NGが出た部分の検証が必要だと言います。これが混乱を招く一因になっているようですし、構造計算をやっていない人には全くわからないことだと思います。

データベースの管理

この頃から私もこの問題処理に参加していて、約3000棟のマンションのデータベースの更新や整理をしつつ、部長が忙しすぎて社内の会議に出ることが難しくなったので、代わりに参加していました。データベースの更新は、構造設計事務所名がわかれば追記し、構造計算書のあるなし、管理組合からの相談内容やクレームなどを追加していきました。情報が次々と入ってくるので、トイレに行っていた間に書類の山が机にできているというのも珍しくなく、常にメールボックスは一杯一杯という状況でした。

この膨大な物件数に加えて、連日のように鳴り止まない電話を見ていると、いつ終わるともしれない作業に思えていました。大勢が夜遅くまで働き、不安を感じている管理組合のために働いていたのですが、加熱する報道はそれらの不安をどんどん煽っていきます。その中には正確ではない情報も含まれていて、混乱に拍車をかけていきます。

大勢が感じた報道の不確実さ

マンションに住む多くの人が不安を感じる中、報道はさらに不安を煽る内容を伝えていきます。「震度4程度の地震で壊れる可能性が高いです。震度5なんて来たら1発ですよ」などと、他人事のように語る大学の先生がテレビでもてはやされ、専門家を自称する人達が好き勝手なことをしゃべっていました。まるで過激なことを言う方が仕事が増えると思っているようで、日に日に発言が大袈裟になっていく人が大勢いました。

そしてキー局の夜10時から放送されていた報道番組には、物件を一眼見ただけで構造計算書を偽装されているか判別できる、超能力者のような一級建築士が登場します。姉歯建築士が関与したため建設が途中で止まっているマンション工事現場を訪れ、ここの梁が細いのが偽装だと見ればわかると、構造設計の専門家もビックリするような発言を連発します。

さらにマンションの室内に入り、配管ダクトの部分を叩き「ここはコンクリートで作るところですが、ハリボテになっています」と偽装だと断定しました。この人のように、明らかにマンション建築の門外漢がこの問題を語り、見当違いの持論をテレビや新聞で語ることで、問題がさらにねじれていきました。この放送の翌日は、会社の電話が鳴り止まない事態になり、このデタラメな建築士の発言の対応をすることになりました。この詳細は、以下の記事にも書いています。

関連記事
ハリボテマンション騒動 /信用できない建築士

構造計算書がないマンション

以前は構造計算書をマンション管理組合に引き渡す義務はありませんでした。2000年12月に「マンションの管理の適正化の推進に関する法律」(通称マン管法)が施行され、施行規則第102条に構造計算書も引き渡すことが定められたため、2001年以降のマンションについては引渡しています。しかしそれ以前は、基本的に管理組合に渡していなかったのです。

これが住民感情に火をつけることがありました。構造計算書の偽装が問題になっている中、構造計算書がなければ偽装がないかどうかのチェックすらできません。売主はこれに対して誠実に対応しろという声があちこちから上がり、その対応に何人もが追われることになります。築10年以内の物件なら設計事務所が保管していましたが、それ以上に古いものは保管されていませんし、そもそも設計事務所が廃業していることもありました。

法律上は引き渡す義務はなかったというだけでは納得しない管理組合も多く、当時の会社の方針で可能な限り丁寧に対応していました。中には構造計算書を作り直せという管理組合もあり、毎週のように住民説明会があちこちのマンションで行われていました。私もそれらの資料を作成したり、手配したりする仕事に忙殺されていました。しかし説明会を開いて一時は納得してもらっても、報道で不安を煽られると「やっぱり納得できない」という気持ちになるようで、何度も同じ説明をすることになりました。

住民の不安の解消を目指して

この当時、多くの社員が目指していたのはマンション住民の不安の解消でした。こう言うと格好良く聞こえますが、住民の不安が解消されれば私たちの苦労も減るのですから、そこを目指すのは当然だったのです。相談の電話が入るとその物件の資料を揃えて調査し、文書を発行したり理事会に説明に行ったり住民説明会を開いたりと、その繰り返しでした。姉歯建築士らが国会で証人喚問を行なった頃がピークでしたが、それから1年近くこれらの作業は続くことになります。

時間と共にクレームや相談の電話は減っていき、構造計算書偽装問題に対応するチームの人数も徐々に減っていき、発生からやく2年でチームは解散しました。騒動が落ち着いたのは、説明を繰り返して住民の不安が徐々に解消されていったこともありますが、ヒューザーの社長が国会でキレたり姉歯建築士の自己中心的すぎる動機が判明したことで、一部の人の特殊な犯行ではないかという印象が広がったこと、そして何よりメディアの報道が減ったことにあると思います。

まとめ

今回書いたのは私が在籍したデベロッパーの話ですが、情報交換のために他のデベロッパーとやりとりしていましたが、他のデベロッパーでも似たようなことが起こっていました。このようにどこのデベロッパーも降って湧いたような問題に対して自社物件の安全性の確認を急ぎ、周囲のさまざまな要因に振り回され、苦戦していました。私がいたデベロッパーは販売物件数が多かったので特に苦戦しましたが、どこも同じように感じだったようです。この件では専門性の高い分野に関して、一般ユーザーに説明する難しさを痛感しました。ですが、このようなことは2度と起こって欲しくないですね。多くの建築物は安全に施工されていますし、このような事件は例外だと思っています。

構造計算書偽装事件の中、デベロッパーは何をしていたか” に対して3件のコメントがあります。

  1. 花園祐 より:

     前回の記事読んでから続きを待っていましたが、この姉歯事件とそれに伴う法令改正は建設業界に未曽有の混乱だけもたらし、結局うまくいかないからまた規制緩和されたと聞いてました。改めて当時の現場の生々しい状況を書いてくださり、大変参考になりました。
     もののついでにお尋ねしたいのですが、いわゆる姉歯物件は震度5で倒壊するなどと当時言われながら、その後の東日本大震災の時にはどれも倒壊しませんでした。事件発生後に補強工事などされていたからかもしれませんが、「いい感じに鉄骨を抜いていた」とも当時のネットに書かれており、実際の強度不足はどの程度のものだったのか少し気になっています。もしこの件で何か情報なり知見がありましたら、ご紹介いただけると助かります。

    1. TaCloveR Tokyo より:

      コメント、ありがとうございます。
      続きの記事が遅れて失礼しました。

      ご指摘の通り、姉歯物件は東日本大震災で倒壊することもなく、本当に手抜きだったのか?なんて当時もネットで言われていました。実は姉歯事件が発覚した頃、構造設計士が姉歯物件が安く売られるなら買いたいと冗談交じりに言っていました。建築基準法は大地震の度に改正されてきましたが、そもそも余裕度を持って決められていたのに、さらに余裕度を持って改正されました。余裕度+余裕度が繰り返された結果、大幅な余裕度を持った設計基準になってしまいました。

      東日本大震災では福島第一原発が話題になりましたが、何かのニュースでマグニチュード8.0に耐えられる設計だったが、マグニチュード9.0の地震に晒されたと言っていました。これが本当なら福島第一原発は想定の16倍のエネルギーに襲われたことになります。ガラガラと倒壊しなかったのは過剰設計だからだと、構造設計士の人が言っていました。

      私は構造の専門家ではありませんが、どうも余裕度が過剰になっているようです。それでも地震は満遍なくエネルギーを伝えるわけではないので、設計通りに建設しても倒壊する建物が出てきます。そのため大地震の度に改正が続くのです。

      1. 花園祐 より:

         ご返信ありがとうございます。
         耐震設計に関してはこのままいくと「天変地異が起きても壊れない」水準まで行くような気がしていて、どこかで「こっから先はしょうがないね」とするラインを引いた方がいいのではと前から感じています。余裕の上に余裕を重ねていって、逆に余裕がなくなっているようにも見えますし。
         しかしおっしゃられている通りだと、姉歯物件は少なくとも震度5程度では倒壊するような水準でなかったわけで、であると当時の制度改正を含めた大混乱はやや大げさすぎた気がしますね。あの事件では確か姉歯元建築士の奥さんも自殺に追い込まれてますし、必要以上の騒動が残した傷跡について今でも考えさせられます。

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