プラウドで生まれ変わった野村不動産
私は2010年頃から、野村不動産の方と情報交換をよくするようになりました。地上デジタル放送の切り替えが各 デベロッパー で問題になっており、総務省で会合を持ったのをきっかけに、野村不動産の方と連絡するようになったのです。野村不動産は「プラウド」シリーズで続々とマンションを売り出しており、ブランド力を年々高めていました。その野村不動産とのつきあいで、さすがだと思わされることがいくつもあったので、ご紹介したいと思います。
プラウドブランドの成功
2000年頃まで野村不動産のマンションというと、正直言ってパッとしませんでした。冴えないマンションと言うと語弊がありましたが、知り合いが野村不動産のマンションを買ったと聞けば、多くの人が「野村?」と感じていたと思います。外観もパッとしないマンションが多かったですし、間取りも地味なものが多かったと思います。個人的な印象ですが、住友や三井、三菱地所よりブランド力がないのは当然として、積水ハウスのグランドメゾンよりも下だったと思います。あえて野村不動産のマンションを買う人は、あまりいなかったと記憶しています。
しかし2002年に野村不動産は、ブランド名を「プラウド」に統一すると、テレビCMなどを打ってイメージを一新しました。私は市川海老蔵、團十郎親子を使ったCMが印象に残っています。伝統と格式とモダンさを融合させるイメージで、野村不動産が大きく動き出したことを感じました。しかし野村不動産は、マーケティング戦略でイメージを変えただけではありません。マンションの外観のデザインも大きく変わりました。そして何より私が唸ったのは、建築工事の考え方です。
ブランドとは品質である
当時の野村不動産の社長は「プラウドとは品質である」と語ったそうです。当時、ライオンズマンションを販売する大京が「品質性能ism」を打ち出しており、これを強く意識していたと野村不動産の社員の方が言っていました。ではマンションの品質をどうやって上げていくのか?それが野村不動産の建築部門の課題になっていきます。
建築部門に品質管理課が設置され、建物の検査体制が構築されます。検査には建築のプロが必要で、 ゼネコン の元現場所長などを積極的に採用していきます。この方々は、毎日どこかの現場に出かけてはチェックを行い、ゼネコンにアドバイスをしていました。私がお邪魔した2010年頃には、社員と合わせて50名近い方が品質管理課に在籍していると言っていました。
査図という作業
品質管理課は、設計事務所から出てきた設計図をチェックする査図(さず)という業務を行います。設計図に赤字を入れて設計事務所に返却し、訂正を依頼するのです。この査図は私がいたデベロッパーでも行っていましたし、他のデベロッパーでも同様で、査図そのものは珍しくありません。しかし査図をしてからが野村不動産は私がいたデベロッパーとは全く違いました。
査図を行って設計事務所に返却すると、設計事務所は指摘事項を精査して設計図を訂正します。しかし書き直したことによって新たな問題が生ずることもあり、設計事務所とのやりとりが続くことになります。査図を始めると、書き直す時間に打合せする時間が加わり、かなりの時間を要してしまうのです。しかし販売スケジュールは以前から決まっており、工事着工予定日がどんどん迫ってきます。
私がいたデベロッパーでは、工事着工予定日が迫って来ると、査図が完了していなくてもゼネコンと工事請負契約を結んでいました。そして査図が完了しないま工事が着工することがありました。工事を始めなければ販売の開始もできませんし、予定通りに引き渡せません。予定通りに引き渡せないとデベロッパーにお金が入らないので、銀行に借りたお金が返せなくなるからです。そのため査図が終わらなくても、工事は始まっていたのです。
こうなるとゼネコンは査図が終わっていない図面で契約しているので、それ以降の設計変更は全て追加工事になります。現場では「今さら変更を言われても・・・」と現場所長がぼやくだけならまだしも、「今さら言われても、もう変更はできませんよ」となってしまうこともあり、品質管理室の担当や建築の物件担当の社員が厳しい交渉をゼネコンと行うことになります。
野村不動産の査図
野村不動産では、査図が完了して品質管理課の課長が押印しなければ、ゼネコンと請負契約を結べないというルールがありました。私はこれを聞いた時に「販売時期がズレてしまうことはないんですか?」と質問すると「あります。ですが査図も終えていない未完成の設計図で契約したら、品質を維持できないじゃないですか」と、当たり前のように言われました。
実際には工事着工までの期間が短い物件については、予め品質管理室に相談が来ていて、なんとか着工予定日に間に合うように品質管理室のメンバーが設計事務所を支援して設計図の完成を急がせるなどしていたようです。いずれにしても品質管理課の権限は絶大で、マンションの販売を遅らせることもできるというのは驚きでした。これは社長による指示だそうで、販売の都合で査図が終わらないのに契約したり工事を着工することは絶対にないとのことでした。
アフターサービス体制の再構築
私が野村不動産を訪問して驚いたもう一つは、アフターサービス部の社員が全員営業出身だったということです。アフターサービスで重要になるのは、住人とのコミュニケーションです。どれほど正しいことを主張しても、言い方が悪くて住人を怒らせることはよくありました。そこで全員を営業出身者に変えることで、住人とのコミュニケーションを円滑にできるようにしたのです。
建築出身の社員は、荒っぽい建設現場に順応するために言葉遣いが世間一般より荒くなる傾向があります。他意はなくとも言葉遣いで誤解されることがあるので、営業出身者に対応してもらうのは、非常に有効な手段です。しかし営業出身者だけでは、建築の知識がないため適切な対応がとれないこともあります。そこで先ほどの品質管理課の隣にアフターサービス部を設置することで、常に建築の相談ができるようになっていました。
実質的に品質管理課の課長がアフターサービス部の面倒も見ることになるので、かなり大変ではありますが、建築の知恵袋を持った営業出身者が対応するというのは、機能的だと思いました。
竣工書類の均一化
マンションが竣工してゼネコンから鍵の引き渡しを受ける際に、竣工書類を受領します。これにはマンションの設計図だけでなく、保証書や取扱説明書などの書類が含まれていて分厚いキングファイル数冊分になります。私がいたデベロッパーでは、このチェックが担当者にとって大きな仕事になっていました。1日では見終わらないこともあり、数日かかることもありました。
野村不動産には竣工書類をチェックする専属の社員がいて、その方が全ての竣工書類に目を通していました。竣工書類はマニュアル通りに作るのですが、指示する人やチェックする人のクセがあるので書き方がバラバラになることがあります。しかし同じ人がチェックするので、どの物件も同じ竣工書類になっていました。竣工書類が見やすくなると、クレーム発生時の調査などで無駄に時間を使うことがなくなります。
まとめ
野村不動産は大京の品質管理を目指したそうですが、私がお邪魔した際には既に高いレベルで組織が運営されている印象を受けました。何度もお邪魔して情報交換を行い、私が品質管理室を離れるまでさまざまな仕事でお世話になりました。ブランドは品質という言葉は重く、それが品質管理課のプレッシャーにもなっていたようですが、プラウドが急成長した陰には彼らの奮闘があったからだと思います。
少し野村不動産の回し者みたいな記事になってしまいましたが、私が野村不動産と仕事をして感じたことをそのまま書きました。現在は体勢が変わっているかもしれませんし、私が知っている人達も他の部署に異動しているようです。この記事の内容は、あくまでも私が受けた印象であり絶対的な評価ではないことをご了承ください。