マンションの地上デジタル騒動 /あの時何が起こっていたか
2002年、地上デジタル放送開始まで1年というニュースが流れる中、マンション デベロッパー の品質管理室にいた私に、何か会社として対策が必要なのか?という質問が来ました。地上デジタルに変わることで何が変わるのか全くわかっていなかったので、そこから調べることになりました。ここから2011年7月24日の地上デジタル放送完全移行まで、さまざまな問題が発生するとは思ってもいませんでした。今回はマンションの地上デジタル騒動のお話です。
2003年12月1日本放送開始
地上デジタル放送の本放送開始は2003年12月1日となっていましたが、東京・名古屋・大阪の3大都市圏の一部で放送が開始される限定的なものでした。東京では地上デジタル放送の電波を流すスカイツリーはまだ完成しておらず、既存の東京タワーから放送する変則ぶりで「本放送開始って何?」と言う人もいるありさまで、実質的に試験放送でした。しかも池袋のサンシャインシティ60が巨大なビル影になり、東京都北区などは受信エリア外になっていました。
この頃から社内で地デジ関連の打ち合わせが行われるようになります。12月1日の放送開始に合わせて、地デジが受信できるエリアに新設するマンションは地デジ受信ができるように仕様を変更していきました。そしてこの頃から地上デジタル放送の電波障害が疑問でした。
電波障害対策不要の真偽
電波障害とは
電波障害というのはマンションやビルが新たに建設されることにより、電波がビルの影になってテレビが映らなくなることを指します。地上デジタル放送の最大の特徴は、これまで都市部につきものだった電波障害がなくなるというものでした。地上デジタル放送で使われるUHFの470MHz-710MHz帯域は、これまで地上アナログ放送で使っていたVHF帯域に比べて反射が多く、ビル影にも回り込んで受信できると説明されていました。
昭和の建設ラッシュの頃から電波障害は問題視されており、ほとんどのマンションデベロッパーは旧建設省が昭和54年10月12日に出した通知を元に、マンション建設によって電波障害対策が起こった家には対策工事を行っていました。また電波障害を巡っては裁判もあり、民法第七〇九条に基づいて建物の事業主が対策工事を行うことが慣例化していました。いわば電波障害対策は、やって当たり前になっていたのです。
電波障害対策の実際
電波障害が発生した場合、マンションの屋上に電波障害対策専用のアンテナを設置します。このアンテナからビル影になった家にケーブルを流して、各家にテレビを配信していました。マンションの建設工事が行われている間は、電障設備の所有者はマンションデベロッパーで、責任を持って維持管理を行います。マンションが完成してマンション管理組合が発足すると、電波障害対策設備の所有権は管理組合に移管されます。以降は管理組合が責任を持って維持管理を行うことになります。
地デジで電波障害が消えない
上記のように地上デジタル放送を管轄する総務省は、地上デジタル放送によって電波障害がなくなると言っていました。しかし2003年から始まった放送では、池袋のサンシャイン60がビル影になって北区などには電波が届いていませんでした。地上デジタルでも電波障害が起こるのは間違いないように思えました。しかし総務省が電波障害がなくなると言うためアンテナ業者さえも電障対策不要と言うありさまで、なんとなく電波障害がなくなると多くの人が思い込んでいたのです。
そんな中、名古屋のアンテナ業者やテレビ局などが中心になり、地上デジタル放送に移行しても電波障害が起こるという独自の研究結果を発表しました。ここから地デジの電波障害対策を検討することになります。この頃から社内でも「そりゃ影になれば電波は届かないよね」と、急に言うことが変わる人が増えていきます。
電障害設備撤去の方針
2009年が半分も過ぎた頃に、総務省で行われた打ち合わせに参加しました。総務省は既存の電波障害対策設備は地上デジタルに移行したら不要になるため、全て撤去することを基本方針として出したのです。しかし電波障害対策施設の所有者はマンション管理組合です。管理組合が身銭を切って施設の撤去を行うとは思えません。そこで総務省は補助金を出すことにしました。補助金の条件は電障設備が「小規模施設特定有線一般放送」として届出がなされていることでした。
これが言われた瞬間、デベロッパーの担当者数十人がドン引きした空気になったのを覚えています。そもそも電障設備を設置し始めた頃は届出など不要でした。しかしある時期から旧郵政省が電障設備も放送設備に該当すると言い出し、届出が必要になったのです。届出が不要だった時期の電障設備は届出などされているはずもありません。参加者のほとんどがため息をつき、面倒なことになったと頭を抱えました。
このままだと全国の管理組合から「なぜ我々の電障設備は無届けなんだ?」と抗議されることは明らかでした。そこで総務省は過去の物件でもこれから届出をしても大丈夫で、届出が受理された時点で補助金を出すと言います。しかし届出には電柱に登って使っている機器を全て書き出し、ケーブルの長さやその固定方法まで全て記載しなくてはならないものでした。すでに2年を切っている時点で言われても、とても無届けの全マンションで間に合いそうにありません。
私がいたデベロッパーでは、無届けの物件が推定で2000棟以上ありました。そこでアンテナ業者に連絡し、全てを調査して届出を出すのに必要な時間と金額を算出すると、5年以上の期間と35億円程度必要という驚きの結果にが出ました。大型物件が多いのと都市部から離れたマンションが相当数あるため、驚くほど高額になってしまったのです。他のアンテナ業者に連絡すると「無理」と断られました。何か対策が必要でした。
デベロッパー同士で頭を痛める
デベロッパー同士で密に連絡をとるようになります。各デベロッパーの担当者は「総務省の意見はもっともだが現実味がない」というものでした。仮に全マンションに無条件に補助金が出たとしても、電波障害対策施設を撤去できる業者のマンパワーが足りず、実現は不可能という結論に達しました。そこで過去の物件の届出は、管理組合からの要望が出たら対応するという消極的な対応をとるデベロッパーがほとんどでした。
今は総務省も正論を通そうとするが、現実的に間に合わないとわかれば緩和措置をとるはず。各社はそう考え、緩和措置が出るまでは様子を見ることにしたわけです。デベロッパーの中には、なぜか電波障害設備に所有権を管理組合に渡さず、自分たちで持っている会社がありました。また所有権を渡す手続きを忘れて保有したままになっている会社もありました。各社が様々な事情を抱え、時間がない中で頭を痛めていました。
陰謀論まで飛び交う始末
地上デジタル放送を始める前に、アナログ放送の周波数帯域を空ける必要がありました。そのためアナログ放送の周波数を変更する、通称アナアナ変換という作業が行われました。当初はこれにかかる費用が700億円とされていたのですが、数年で1800億円になると見積が変更されました。しかもまだ増える可能性が提示され、これに激怒した政治家がいたようです。このようなズサンなやり方では国民の理解を得られないと憤慨し、総務省の責任者を呼びつけて地デジ化を中止しろと迫ったと週刊誌で報じられたのが、当時の自民党副総裁の山崎拓氏です。
しかし山崎氏は、この直後の2002年4月に愛人スキャンダルで失脚しました。そのためこの愛人スキャンダルは、地デジ放送にまつわる利権絡みの謀略と真顔で語る人もいました。また地デジ放送は衛星で行う方が遥かにコストが安いとい言われており、なぜ地上の電波塔から行う地デジ放送になったのかについて「衛星放送に切り替えたら、地方のテレビ局の存在意義がなくなるから」と、テレビ業界の都合で膨大な税金がつぎ込まれていると言う人もいました。この頃、地デジ問題に取り組む中で多くの業界の人に会いましたが、これらの話を真顔で語る人に多く会いました。
2011年7月24日アナログ放送停波
電波障害設備撤去に補助金が出ることが総務省から発表されましたが、予想に反して問い合わせは少数でした。撤去して地デジでも電波障害が発生したらどうするのか?などの問題を解決しつつ、総務省との打ち合わせを続けていきます。やがて届出はどんどん簡素化されていき、最後には届出がなくても補助金が出るようになっていきました。
地上デジタル放送は万能のように言われてきましたが、アナログ停波が近くに連れてさまざまな不安要素が出てくるようになりました。ノイズがないと言われていましたが実際にはブロックノイズが発生しますし、出力が弱いエリアでは天候の影響で突然映らなくなることもありました。また電波障害設備を撤去することを近隣に説明したら、反対運動が起こることもありました。また新たに必要になるアンテナを、マンション側かデベロッパーが負担するべきと無茶な要求を出す近隣もありました。
さらにアナログ放送停波で、どのような問題が起こるかわからないこともあり、各デベロッパーで情報交換を盛んに行っていました。しかし最後の方はできることも少なくなり、実際にアナログ放送が停波しないとわからないことが多すぎました。そのため停波になる2011年7月24日は、日曜日でしたが私は会社にいることになりました。12時を迎えてアナログ放送が停波された時、何も起こらなかったので安堵して帰宅しました。実際には管理会社の方にテレビが映らなくなったなどの苦情が来ていたようですが、対処できる程度の数だったのでホッとしたのが正直な印象です。
地デジ当たり前の世の中に
こうして色々と頭を悩ませることが続きましたが、トラブルは最小限で地上デジタル放送に移行しました。今では地デジが当たり前になっていますが、多くのマンションデベロッパーやアンテナ業者、CATV会社など多くの関連企業が頭を抱えながら乗り切ったのです。それから総務省ですが、担当した若手官僚は我々と国の方針に板挟みになり大変だったと思います。しかし彼らがデベロッパー側の事情を理解してくれていたので、苦しいながらも私たちは問題解決に取り組めました。
2人の官僚はアナログ放送停波が近くにつれてやつれていき、激務をこなしているのがよくわかりました。当時は民主党政権だったためタクシーの使用が制限されており、深夜まで残業したらそのままオフィスに泊まっていたようです。最後の方は、やつれた顔にくたびれたスーツ姿でした。多くの人の努力があって今日の地上デジタル放送があるのですが、マンション業界もその一役を担ったと思います。