メディアから見る時代別マンションの特徴 /⑤2000年代

60年代のマンションから年代ごとにマンションの特徴を紹介してきましたが、今回は00年代のマンションについて解説したいと思います。中古マンション購入の参考になれば幸いです。00年代のマンションのキーワードは「大規模物件」です。

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テレビの影響の減少

これまで、時代背景を紹介するために当時のテレビ番組を紹介してきました。それはテレビが世相を映す鏡であり、当時の人気番組を見ればその頃の世相がわかるからです。しかし2000年代に入るとテレビの影響が小さくなっていきます。総務省によると、テレビ視聴率は2000年代半ばにピークを迎え、2010年代以降は減少傾向にあります。この頃から、テレビが世相との乖離が始まります。

※「ビューティフルライフ」

当時のテレビ番組は、木村拓哉と常盤貴子が共演した「ビューティフルライフ」が2000年に放送され、最高視聴率41.3%を記録しています。そして2004年には韓国ドラマの「冬のソナタ」が日本で放送され、冬ソナブームが起こります。また2001年に発売された小説「世界の中心で愛を叫ぶ」が、2004年からメディアミックス化してセカチューブームが起こりました。冬ソナブームとセカチューブームを支えた層は大きく異なり、この頃から一つの番組が世間全体を測る尺度ではなくなっていきました。

※「冬のソナタ」(上)、「世界の中心で愛を叫ぶ」(下)

また98年頃から「ひきこもり」が問題になっており、2000年以降は「ニート」も相まって大きな問題になっていました。これらの原因の一端としてスクールカーストが挙げられますが、2005年にはスクールカーストを扱ったドラマ「野ぶた。をプロデュース」が放送されています。このスクールカーストを扱ったドラマや小説は、2010年代に入るとさらに増えていくことになります。若い世代にとっては、学校ではスクールカースト、就職する時には就職氷河期という辛い時代が続きます。

インターネットの本格普及

1999年にNTTドコモがiモードのサービスを開始し、一般ユーザーのインターネット利用が普及しました。またADSLの登場でパソコンからのインターネット利用も普及し、メディアがテレビからインターネットへと移っていきました。そしてインターネットの普及は、コンテンツを受け取るだけでなくコンテンツに参加する面白さを人々に伝えることになりました。

2000年5月3日に発生した西鉄バスジャック事件で、犯人がネオむぎ茶のハンドルネームで書き込んでいた2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)にアクセスが殺到し、ネット発のムーブメントが始まりました。2001年4月には全国の吉野家で同じメニューを同日同時刻に注文する吉野家オフが開催され、2002年にはムネオハウスムーブメントが発生して、政治家の鈴木宗男の声をサンプリングした音楽でクラブイベントも開催されました。

2004年3月には電車男の書き込みが始まり、これらの書き込みは10月には書籍化され2005年にはテレビドラマと映画になります。ギコ猫騒動やのまネコ騒動などでは、大企業を相手にネットユーザーが結束して戦うなど、社会的な騒動(祭り)に一般の人々が参加することができました。これらは見ているだけのテレビよりも刺激が強い体験になり、テレビよりもネットに時間を使う人が増えていきました。またマンション販売においてもネットで宣伝することが当たり前になり、購入者もネットで口コミを集めるのが当然になっていきました。

景気の低迷と失われた20年

90年代から続く不景気で、90年から2010年を失われた20年と呼ばれますが、00年代は先の見えない不景気感に襲われていました。2000年10月からは再び景気後退局面に入り、生産は大幅に減少して失業率も最高水準を更新しました。2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件は、WTCの崩壊に象徴されるように世界経済の悪化を促進し、その影響は日本にも及びました。

※911テロ

また2000年以降はアメリカかから始まったドットコムバブル(ITバブル)の崩壊が、日本にも限定的ですが影響していきます。日本のドットコムバブルの代表例だった光通信が、2000年3月に携帯電話販売の不正を週刊誌に報じられ、株価は1/100にまで落ち込みました。ドットコムバブルの崩壊は、長引く不況の中で、さらに景気が低迷するという状態になっていました。これにより失業率はバブル崩壊時を上回るようになります。

タワーマンションブーム

97年に建築基準法の法改正が行われ、タワーマンションの建設が容易になりました。これに加えて長引く不況で大手企業が工場や倉庫、グランドなどを手放したため、広い土地がマンション用地にりました。こうしてタワーマンションと大規模物件が盛んに建設されることになります。中央区、港区、江東区の東京湾沿いにタワーマンションが乱立し、各社の販売競争は湾岸戦争と呼ばれることになります。これが第七次マンションブームと呼ばれています。

特に江東区では、湾岸エリアの大規模物件に入居するために人口の流入が増大し、保育園などが不足していき、一時的に建築確認が行われるマンションの建設が制限されました。こうして一時的に不動産業界にはミニバブルが発生し、ほんのわずかな期間ですが好景気が訪れました。2007年には売るマンションがないと嘆く会社も出るほどでしたが、2008年のリーマンショックによって、再び不景気になっていきます。

また大規模物件が増加したことで、共用施設の充実が図られました。ゲストルームに展望室、スポーツジムやコミュニティホール、キッズルームや図書室や温泉などの設備が多数設置されたほか、店舗併設だけでなく病院や介護施設を併設したマンションも登場しました。これらの施設が竣工から10年以上過ぎると使われなくなるケースも増え、今後どのようにするか議題になっているマンションも多くあります。

品確法の施行

住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)が2000年に施行されると、マンションの品質にこだわりを見せるデベロッパーが複数出てきました。三菱地所のチェックアイズという独自の品質基準を設け、大京や野村不動産も独自基準をアピールしていきました。また品確法の施行により、住宅性能表示制度の項目にある断熱性やバリアフリーに対する関心が高まりまっていきました。

さらに2003年には、当時問題になっていたシックハウス症候群対策として、建築基準法が改正されて24時間換気システムが義務化などが決定します。このように2000年代から、マンションの基本性能の強化が図られるようになり、目に見えにくい部分の性能がアップしていきました。

相次ぐ構造問題

2005年に発覚した姉歯建築士による構造計算書偽装問題は、日本中を巻き込む大事件に発展し、建設・不動産業界を揺るがしました。また最初に発覚した物件が、ヒューザーという会社が販売するマンションだったため、マンションの耐震性に疑問符がつくことになりました。当初は姉歯建築士だけの問題でしたが、やがて耐震性を確認する建築確認審査が問題視されるようになると、日本中のマンションの安全性に疑問がつくことになりました。

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マンションの耐震性が大きな話題になるのは95年の阪神淡路大震災以来で、マンションデベロッパーは耐震性や安全性をアピールするようになります。しかしこの騒動が落ち着きつつあった2008年に、今度は生コン偽装問題が発覚します。神奈川県の生コン業者、六会(むつあい)コンクリートが、JIS規格不適合の生コンを適合品と偽って出荷したことが発覚して、再び建設・不動産業界に激震が走りました。こうして2000年代は、マンションの安全性に疑問符がつく不祥事が多く、ゼネコンや不動産デベロッパーが対策を強化した時代でもあります。

2000年代の代表的なマンション

①ワールドシティタワーズ

2007年に竣工した住友不動産のタワーマンションです。東京都港区港南に位置し、地上43階建で総戸数は2090戸の大規模物件です。エレベーターが31基もあり、通勤時のエレベーターの待ち時間が少ないように工夫されているようです。自衛隊の芝浦分屯地の跡地に建設され、All in Cityのコンセプトの元で、マンション全体を一つの街に見立てて設計されました。

また携帯電話は地上20階ぐらいから繋がらなくなりがちで、超高層マンションでは携帯電話が全く使えないことも珍しくありませんでした。しかしワールドシティタワーズは分譲マンションとしては初めて不感対策を行い、全ての部屋から携帯電話を使うことを可能にしています。

②THE TOKYO TOWERS

高さ190mを超えるツインタワーで、東京都中央区勝どきに建設されました。地上58階建てで、総戸数2799戸は販売時に日本最大の戸数と言われていました。これは今でも破られていないと思います。このマンションは勝どき六丁目再開発事業で建設されたもので、売主はオリックス不動産、東急不動産、住友商事の3社でした。

販売時には電通がI LOVE NEW TOKYO キャンペーンを展開し、広告宣伝費が30億円という桁外れの金額が使われています。そのため販売価格も割高感があったのですが、販売と同時にほぼ即完で話題になりました。

まとめ

2000年代はマンション業界にとって、構造計算書偽装問題という大きな事件があった時代です。90年代の阪神淡路大震災に続いて、マンションの構造の安全性が大きな注目を集めました。そのため各デベロッパーは品質をアピールするようになり、各社ごとにさまざまな対応を見せるようになりました。リーマンショックが発生する直前まではミニバブルと呼ばれる好景気でマンションは多く売れましたが、その後は再び不景気になっていきます。今回で10年ごとに書いてきたマンションの歴史は終了です。また視点を変えて、マンションの歴史は書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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