メディアから見る時代別マンションの特徴 /③1980年代

60年代のマンション、70年代のマンションの話に続いて、今回は80年代のマンションについて解説したいと思います。中古マンション購入の参考になれば幸いです。80年代のマンションのキーワードは「家族の崩壊」です。

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家族崩壊の始まり

1982年に「夕ぐれ族」という会社が話題になりました。創業者は筒見待子という女性で、社名と電話番号を記載したTシャツを着てPR活動をしていました。彼女は当時人気絶大だったフジテレビの「笑っていいとも!」やテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」に出演して、マスコミの注目を集めていきます。この会社が注目された理由は、その業務内容でした。愛人を持ちたい男性とお金を得たい女性を仲介して、愛人契約をさせる会員登録制のビジネスを行っていたのです。

※当時は顔出しでメディアに出ていました

筒見は人を紹介するだけであり、不特定の人を相手している訳ではないので売春の斡旋ではないと主張し、会員は2000人を超えると豪語していました。普段は良き父親を演じている男が「夕ぐれ族」に登録しており、若い愛人を契約しているという事実、真面目な女子大生がお金を得るために年上男性と愛人契約をしているという事実が明らかにされ、「愛人バンク」という言葉が流行語になりました。70年代の円満な家族像が崩壊し、ドス黒い愛人との関係が公然とメディアで語られるようになります。80年代は家族の崩壊が始まりました。

1980年代のテレビ番組

崩壊する家族像を象徴するようなテレビ番組が人気になっています。1982年に放送された「積木くずし」は、「親と子の200日戦争」というコピーに表されるように、非行に走る娘と崩壊した家族が立ち直るまでを描いたもので、原作は俳優の穂積隆信が書いた実体験を元にしていました。当時は少年少女の非行が社会問題になっており、原作とドラマは社会に大きなインパクトを与えます。さらに本作はドラマに出演した高部知子のスキャンダルで話題になり、急遽主演女優を差し替えた映画も公開されています。

※積木くずし

さらに83年には「家族ゲーム」が映画とドラマになり、落ちこぼれの子供と歪な家族像が話題になりました。そして同じく83年は主婦の不倫を描いた「金曜日の妻たちへ」が話題になります。このドラマはシリーズ化され、やがて「金妻ブーム」と呼ばれる社会現象に発展していきました。さらに84年にヒットしたドラマは「不良少女とよばれて」でした。このドラマは非行に走る少女が主人公で、やがて少年院に収監されて立ち直る物語です。

この頃は1960年代に始まった受験戦争が激化しており、子供たちの落ちこぼれが非行の原因と言われていました。大人は不倫、子供は非行が問題になった時代です。テレビドラマも世相を反映したものが増え、家族全員で見るものではなくなりつつありました。そのため徐々にですが、それぞれが自分の部屋にテレビを欲しがるようになっていきました。

やがてテレビが一家に複数台を持つのが当たり前になり、家族全員でテレビを見るよりも個人でテレビを見ることが増えていきます。これに敏感に反応したのがとんねるずで、特に石橋貴明はテレビカメラに向かって「お前」と単数形で呼びかけていました。それまでは番組MCが「お茶の間のみなさま」と複数形で呼びかけるのが普通だったのですが、石橋はテレビの前にいる個人に対して呼びかけていたのです。

リビングルームの変化

こうして一家団欒は過去のものとなり、リビングルームにも変化が訪れます。70年代に生まれたセンターリビングを通らなければ他の部屋に行けない間取りから、リビングルームがバルコニー側に押し出されます。日当たりが良い部屋をリビングにするという名目でしたが、リビングを通らずに各部屋に行けるようになったことがポイントでした。帰ってきたら、家族の誰にも会わずに自室に行けるのです。

※田の字プラン

これは親に顔を合わせなくて済む子供に人気と言われていましたが、子供がマンションの購入を決定する訳ではありません。購入を決定する親も、子供と顔を合わせなくて済む間取りを望んだのだと思います。こうして家族の崩壊が進み、「田の字プラン」と呼ばれる間取りが定着しました。この「田の字プラン」は、現在でもスタンダードな間取りとして多くのマンションに見られます。

1980年代前半の不動産市況

1970年代の乱開発と呼ばれた過剰な開発ブームの煽りで、80年代に入ると不動産市況は低迷しました。郊外のマンションや団地には空き家が目立つようになり、官民の両方が70年代の「質より量」の方針を改めて「量より質」に転換していきます。日本全体を見ても内需が停滞し、輸出で経済成長を支えるようになりました。こうして貿易摩擦が問題視されるようになり、各国が赤字になるなか日本だけが黒字を積み上げるようになりました。

※1989年のベストセラー「Noと言える日本」

このような状況から1980年代前半の不動産市況は悪く、マンション販売も好調とは言えない状況でした。ただこの頃から、マンションを一時的な仮住まいではない永住思考が生まれていきます。マンションに対する考え方が変わってきたのです。

離婚率の上昇

70年代から上昇を続けていた離婚率は、80年代に入ると離婚カップルが10万組を超えて83年頃にピークを迎えます。年代別に見ると、30代から40代の離婚が急激に増えていていて、まさに「金曜日の妻たちへ」が現実に起きていたことがわかります。30代から40代というと、住宅を購入するメイン層でもあり、離婚したり離婚の可能性が高い状態では不動産購入に踏み切れないのは当然のことです。これらの要素が80年代前半の不動産不況に影を落としていたと言えるでしょう。70年代には家族の絆や一家団欒やマイホームパパが称賛されていましたが、80年代前半はその反動のように離婚が急増していきました。しかし83年をピークに、離婚率は低下していくことになります。その原因は、日本全体の経済状況にあるのかもしれません。

厚生労働省の資料

1980年代後半の不動産市況

1985年9月に開催されたG5(先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議)で、通称「プラザ合意」が結ばれたことで、日本の景気は激変します。一時期は為替不況に陥りますが、内需拡大に成功したことでバブル景気を迎えました。これにより再び不動産投資ブームが到来し「土地神話」が語られるようになります。土地神話とは、株や金などあらゆる投資対象は価格が上下するのに対し、土地だけは上がり続けてきたのだから今後も値上がりが続くという考えのことです。

銀座では1坪の価格が1億円を突破し、マンションの販売価格は高騰します。高級マンションが乱立し、都心にマンションを買えない人は郊外に家を求めました。毎年どころか数ヶ月ごとにマンションは値上がりしていくので、今買わなければ二度と買えないと感じた人々は通勤時間が2時間や3時間掛かっても郊外にマンションを購入していきます。こうして80年代初頭は「量より質」と考えていたのに、80年代後半はとにかく量を供給することが重要になっていきます。

80年代のマンションの特徴

80年代前半と後半で、マンションの雰囲気がかなり違います。特に後半はバブル景気を背景に、豪華絢爛なマンションが多く建設されています。ホテルのようなエントランスや重厚感のある外観のものが多く、大理石を多用した物件をよく見かけます。エントランスの壁が大理石なのはともかく、室内の洗面台やキッチン天板なども大理石が使われたりしました。大理石は水のシミができやすく、欠けたら補修もできないので現在は水回りには敬遠されがちですが、「大理石=高級」という安易な使われ方をした物件が散見されます。

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また間取りは先に書いたように田の字プランが多いですが、玄関を中央に配置したセンターインやプライベート部分とパブリックを分離したPP分離などの試みが行われています。他のマンションとの差別化のため、さまざまな試みが行われていたのもこの時代の特徴で、現在では見られないものが多く存在します。

代表的なマンション

①広尾ガーデンヒルズ

80年代を代表するマンションで、1983年に東京都渋谷区広尾に建設され、全体が竣工したのは1987年でした。総戸数は1181戸の大規模物件で、5つのヒル、合計15棟で構成されます。建築主は住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一生命で、設計は圓堂建築設計事務所、三菱地所が行いました。施工は清水建設、大林組、大成建設、鹿島建設、三井建設、三菱建設の超大手から中堅ゼネコンが参加しています。

芸能人御用達とも言われるマンションで、竣工当時から現在まで多くの芸能人が住んでいます。写真週刊誌には、このマンション周辺で撮影された写真が掲載されていることもあり、不動産関係者の間では誰が住んでいるといった話がよく交わされた時期がありました。現在も多くの芸能人が住んでおり、最近でも売れっ子のお笑い芸人やアナウンサーなどが入居したと聞いています。

②ドムス広尾

1988年に竣工したマンションで、大建ドムスが展開したドムスシリーズの1つです。バブルの高級マンションの代名詞的なドムスシリーズですが、特にドムス広尾は高級マンションとして有名です。地上4階建てで12戸しかなく、当時の販売価格は全戸が10億円を超えていました。特に最上階の住戸には6畳弱のメイドルームがあり、そのメイドルームより広いウォークインクローゼットがあります。浴室が3つ(1つはメイド専用)もあり、室内は大理石や御影石がふんだんに使われていて、現在の視点では冗談にも思える豪華絢爛さです。

ガラス張りのエントランスに、ドムス特有の重厚感のある外観、そして24時間有人管理など、当時としては豪華な設備が満載です。ドムスシリーズは93年に入っても「ドムス南麻布」など、超高級シリーズの販売を続けています。

まとめ

80年代は家族の崩壊が始まり、離婚率が急上昇しました。それに伴い流行の間取りが変化していき、田の字プランが流行していきます。家族との交流が減り、各人が個室に籠ることも増え、リビングに1台しかなかったテレビは各室に置かれるようになります。しかし80年代後半はバブル景気により狂乱の時代を迎えます。そのため豪華絢爛なマンションが多く建設され、大量に高級マンションが供給されていきました。この時代、普通のサラリーマンは都心のマンションは購入できず、郊外で購入しています。これが90年代に入るとバブルが崩壊し、都心に逆流することになります。

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