メディアから見る時代別マンションの特徴 /①1960年代

以前にも古いマンションの特徴をまとめたことがありますが、中古物件の購入予定者からその時代ごとの物件の特徴を教えて欲しいと言われました。そこで今回は時代背景を含めて、もう少し詳しく書いてみたいと思います。マンション購入の参考にして頂ければ幸いです。今回は1960年代のマンションの特徴です。この時代のキーワードは「ダイニングキッチン」です。

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②1970年代
③1980年代
④1990年代
⑤2000年代
マンションの特徴を時代ごとに解説します /中古マンション選びの参考

1950年代のマンション

1960年代のマンションの特徴を語るには、1950年代を語らなくてはなりません。なぜなら日本で分譲マンションが始まったのは、50年代だからです。日本初の分譲マンションは1953年に渋谷に建設された宮益坂アパートメントです。1945年に戦争が終わってから8年しか経っていませんし、当時の渋谷は現在のように都会ではありません。そんな渋谷に地上11階のマンションが建設されたのです。東京都の分譲で、当時は住宅ローンがないので現金での販売です。そのため富裕層向けのマンションでした。

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※宮益坂アパートメント

住宅ローンが始まるのは、1956年に四谷に建設された「四谷コーポラス」です。日本信販が売主だったため、月賦販売が行われました。これが最初の住宅ローンと言われています。こうして徐々に日本の分譲マンションが始まっていくのですが、この頃は区分所有法もないので手探りの販売と管理運営が行われていました。しかし1950年代に始まった日本の分譲マンションは、1960年代に入り第一次マンションブームと言われる建設ラッシュが始まります。

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アメリカは豊かさの象徴だった

1945年に日本はアメリカとの戦争に負けて、戦後と言われる時代に突入しました。終戦と同時に設置されたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による日本の統治は1952年に終了し、日本は新たな時代に入ります。そして1953年に前記の宮益坂ビルディングが建設されるのですが、この年はテレビ放送が本格化した年でもありました。この当時、日本人にとって戦勝国のアメリカは憧れの対象であり、

テレビ放送の影響

1953年2月1日にNHKが放送を開始すると、8月には日本テレビが放送を開始しました。1955年にはラジオ東京テレビ(現在のTBS)、57年には日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)、59年に富士テレビジョン(現在のフジテレビ)が開局して放送を開始しています。しかし開局したものの、テレビ局にはテレビ番組を作るノウハウが足りず、常に番組には苦労していました。そこで増えたのが、アメリカのテレビドラマを日本語に吹き替えて放送する番組です。アメリカに出向いて番組の放送権を買い付け、俳優に日本語のセリフを当ててもらい放送するのです。なんと当時の吹き替えは、生放送が多かったそうです。

こうしてさまざまなアメリカのテレビドラマが、日本で放送されることになります。例えば「スーパーマン」はTBSで1956年から79年まで放送され、最高視聴率は74%に達しました。「コンバット」のような戦争もの、ギャングを追う「アンタッチャブル」、コメディの「トリオ・ザ・三バカ」など、当時は本当にさまざまなジャンルが放送されていますが、アメリカの日常を映画いたホームドラマは、アメリカのライフスタイルへの憧れに繋がりました。

1957年に放送を開始した「アイ・ラブ・ルーシー」は、ショービジネスの世界に憧れる主婦のルーシーと、歌手でバンドマンの旦那が織りなすホームコメディで、2人が住むニューヨークのアパートが何度も画面に出てきます。また58年に放送開始した「パパは何でも知っている」は、アメリカ中西部に住む中流家庭が舞台です。夫は保険会社に勤務し、妻は専業主婦で、3人の子供達とで巻き起こるさまざまな出来事が描かれています。さらに66年から始まった「奥様は魔女」では、広告代理店に務めるダーリンと妻で魔女のサマンサ、そしてその子供達とのドタバタを描いています。

※アイ・ラブ・ルーシー

ダイニングキッチンへの憧れ

これらのホームドラマには、必ずといって良いほどダイニングキッチンが登場しました。男性が新聞を読みながらコーヒーを飲んだり、家族で食事をしたり談笑したりする場としてダイニングキッチンが何度も登場することになります。ホームドラマ以外でもダイニングキッチンは多くの場面に登場することになり、日本にはないキッチンと食堂を兼ねたテーブルのある部屋に、多くの日本人が憧れました。そのためマンションや団地には、ダイニングキッチンが求められるようになりました。先進的なライフスタイルとは、ダイニングキッチンがある生活になったのです。

※「パパは何でも知っている」のダイニングシーン
※「アイ・ラブ・ルーシー」のダイニングシーン

蛇足ですが、アメリカのドラマは戸建にも影響を与えていて、芝生の庭が日本にも広く浸透しました。休日に芝刈りをし、子供達と庭で遊ぶアメリカ人のライフスタイルに憧れた当時の日本人は、和風の庭ではなく芝生の庭を求めることになります。こうしてダイニングキッチンや、芝生の庭は日本人の新しいライフスタイルに取り込まれるようになります。

食寝分離という考え方

当時の集合住宅をリードしていたのは、日本住宅公団(現在のUR都市機構)でした。関東大震災の教訓を活かすために設立された同潤会がGHQによって解体され、同潤会を参考に1955年に設立されたのが日本住宅公団でした。その公団もダイニングキッチンの導入を試みていました。それはテレビドラマへの憧れではなく、食寝分離という考え方から採用していたのです。

公団は51c型という間取りを50年代から多く採用していました。1951年に考案された12坪の間取りで、広さによって51aや51bといった間取りもありました。この間取りにはダイニングルーム(当時の記載は「食堂」)が存在するのですが、これは食事するスペースと就寝するスペースを分離することが目的だったのです。これは建築家の西山夘三が1942年に発表した論文「住居空間の用途構成に於ける食寝分離論」を元にした考え方で、当時の日本では寝る場所と食事をする場所が同じだったため、布団を片付ける際に舞った埃の中で食事をとる衛生面の問題を解決するものでした。また深夜帰宅や早朝出勤などの生活時間のズレも、これにより解消できました。

その後、公団は2DK55型という間取りを採用し、ダイニングキッチンを推進していきます。そのため1960年代のマンションの主な間取りは、公団だけでなく民間分譲マンションでも2DKでした。51c型や2DK55型は食寝分離を実現し、ダイニングキッチンをマンションで実現するために考えられた公団の知恵の結晶でした。この優れた間取りは民間分譲マンションでも模倣され、2DKが標準になっていきました。

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1960年代の経済状況

1956年の経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」が流行語になり、1959年のIOC総会で1964年のオリンピックが東京で開催されることが決まりました。また1960年に総理大臣に就任した池田勇人が、所得倍増計画を発表します。オリンピック開催に向けて公共事業が増加し、1962年からオリンピック景気となって開催される1964年まで好景気が続きます。

東京オリンピックが終わると経済成長が止まりますが、1965年から再びいざなぎ景気が始まり、それは1970年まで続きました。日本は未曾有の好景気に沸き、サラリーマンの多くは家庭を顧みずに昼夜を問わずに働き続けることになります。このようなサラリーマンは、丸善ガソリン(現在のコスモ石油)のCMにちなんで「モーレツ社員」と呼ばれることになります。サラリーマンの深夜帰宅が当たり前になると、寝ている家族に気兼ねなく食事ができるダイニングの有効性が浸透していきます。

※「モーレツ」を広めた丸善石油

1960年代の代表的なマンション

2022年の現在、1960年代のマンションは築50年を超えているためヴィンテージマンションと呼ばれています。そしてこの頃のマンションの多くは、利便性の高い一等地に建設されていることが多いのも特徴です。そのため築年数が古いにも関わらず、高額で取引されるマンションが多くあります。また60年代前半に起こった第一次マンションブームと、オリンピック後に起こった第二次マンションブームでは特徴が異なります。

第一次マンションブームでは、前記したように富裕層向けに建設されています。住宅ローンもまだまだ少なく、基本的に現金買いが基本でした。しかしこのマンションブームによってマンション人気が高まったため、第二次マンションブームでは専有面積を小さくして販売価格を下げて中間所得者層でも頑張れば購入できる価格設定を目指しました。

①コープオリンピア

1965年に竣工したマンションで、販売価格が1億円を越えた初の「億ション」となりました。渋谷区神宮前の表参道に建設され、原宿駅から徒歩2分という立地の良さです。しかし当時の原宿は、いわゆる「原宿ゴールドラッシュ」が起こる前なので、明治神宮以外は何もない土地だったと思います。

地上11階で総戸数は171戸になります。間取りは30㎡台から200㎡超の大型住戸まであり、メゾネットタイプもあるなど多種多様なプランから選ぶことが可能でした。エントランスにはフロントサービスがあり、高級ホテルのような佇まいになっています。外壁を全面タイル張りにしたことで、従来のマンションとは一線を画す高級感がありました。

②秀和レジデンス

1960年代のマンションの代表格が、秀和レジデンスシリーズです。1964年に渋谷区渋谷3丁目に建設された秀和青山レジデンスが第一号で、南欧風の外観で現在も高い人気があります。延べ130棟もの秀和レジデンスシリーズがあり、秀和が銀行と作った住宅ローン制度と管理組合制度によって、当時から高い人気がありました。

秀和青山レジデンスは8階建のマンショですが、2020年に建て替えが決まり、26階建のタワーマンションになることが決まりました。建て替え決議が難航するマンションが多い中、話がまとまってタワーマンションになるということで、高い注目を集めました。

まとめ

この時代のマンションは2DKが多く、60年代後半では小ぶりの面積のマンションが多数見られます。60年代前半の物件は富裕層向けのマンションが多いため、当時として先進的なデザインや設備が採用されています。ただ現在の目で見ると古めかしさが目立つのは当然で、よほどその場所でマンションが欲しいと思わない限り、あえて選ぶ人は少ないでしょう。またこの時期のマンションは、建て替えが議論されているケースがほとんどです。建て替えの議論が止まったのか、議論中なのかも購入の際には注意した方が良いと思います。次回は70年代のマンションです。

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