メディアから見る時代別マンションの特徴 /④1990年代
60年代のマンションから年代ごとにマンションの特徴を紹介してきましたが、今回は90年代のマンションについて解説したいと思います。中古マンション購入の参考になれば幸いです。90年代のマンションのキーワードは「都心回帰」です。
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バブル崩壊の余波
90年代はバブル景気の崩壊により始まります。1990年3月の大蔵省銀行局から出された総量規制に関する通達に加えて、日銀の金融引き締めが急激な信用不安を起こして、バブル崩壊が一気に進みました。これにより90年代は就職氷河期が始まり学生は就職活動が困難になり、会社ではリストラが進みます。また信用組合の破綻に始まり、95年の兵庫銀行の破綻、97年には北海道拓殖銀行、山一證券、長期信用金庫、日本債権信用金庫が破綻し、金融不安を引き起こしました。さらに金融不安は企業の倒産に繋がり、倒産件数も増加していきました。
増加した凶悪事件
90年代は金融不安だけでなく、猟奇的な事件が多発した時代でもありました。最も代表的なのは、94年に発生した松本サリン事件と95年の地下鉄サリン事件でしょう。街中で毒ガスが散布されるという前代未聞の大事件で、特に地下鉄サリン事件では世界中の都市に戦慄が走りました。安価な製造できる毒ガスで、大規模テロができることが実証されたため、アメリカ下院議会ではCIA長官が日本での情報収集ができていなかっとして批判されることになります。
95年はオウム心理教関連の事件が頻発し、ついには全国警察のトップである国松警察庁長官が銃撃される事件まで発生します。また94年は大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件が発生し、無軌道な少年たちが何ら理由もなく次々とリンチと殺人を繰り返したことに、世間は震撼しました。それ以上に世間を震撼させたのは、神戸連続児童殺傷事件です。犯人が使った名前を用いて酒鬼薔薇(サカキバラ)事件と呼ばれることもありますが、劇場型とも言える犯行予告と残忍な手口は連日のようにメディアを賑わせました。そして99年には池袋通り魔事件が発生し、もはや日本に安全な場所はないかのような感覚に陥りました。
90年代のテレビドラマ
こうした世相を反映するかのように、テレビドラマも暗いものが多くありました。91年に放送された吉田栄作主演のドラマ「もう誰も愛さない」は、詐欺に始まり犯罪のオンパレードのドラマで、助演の伊藤かずえの生首が生ゴミと一緒に捨てられている様子に驚嘆と批判の声が上がりました。また92年に話題になった「ずっとあなたが好きだった」は、「冬彦さん現象」と呼ばれるマザコン男が話題になります。この物語は言うなればストーカーの物語で、当時はストーカーという言葉がなかったために異常性愛の一つとして話題になっています。
さらに80年代の後半には一時的に姿を消していた不倫ドラマも復活します。93年の「ポケベルが鳴らなくて」では主演女優の裕木奈江に対する世間のバッシングが加熱し、最終回に裕木が出演しない異常事態になりました。さらに97年には林真理子原作の「不機嫌な果実」が石田ゆりこ主演でドラマ化され、さらに同年には「失楽園」が映画化とテレビドラマ化され、主婦層を中心に空前の失楽園ブームを起こしました。不倫をブームとして消化することに警鐘を鳴らす人もいましたが、そんなことはお構いなしに不倫に至る心境がメディアで大っぴらに語られていきます。
ちなみに92年にアメリカで出版された小説「マディソン郡の橋」は日本でもベストセラーになり、95年にはクリント・イーストウッドが監督と主演をして映画化されて日本でもヒットしました。平凡な主婦の4日間の不倫を描いた物語で、90年代は80年代前半と並んで不倫が消費される時代だったのです。
離婚率の増加
80年代半ばから下落した離婚率は、バブル崩壊と同時に増加に転じました。上記の不倫ドラマの流行は離婚増加を背景にしており、その増加は2002年まで続きます。これは金融不安に始まるリストラや非正規雇用が増加したことにより、男性の収入が不安定になったことが原因にあると言われています。女性が婚姻を継続するよりも、母子世帯として各種手当を受け取る方が金銭的メリットが多いケースが増えていき、離婚に繋がっているという訳です。
90年代のマンション仕様
凶悪事件の増加に加えて空き巣被害の増加もあり、そういった社会不安を反映してマンションのセキュリティが大幅に進歩しました。オートロックは80年代からありましたが、90年代の10年間で新築マンションの標準装備になっていきます。元々、オートロックに関心を集めたのは85年の豊田商事事件で、社長の永野一男宅のマンションには大勢の報道陣が殺到している様子が報じられていました。報道陣はマンションの共用廊下に陣取り、専有部の玄関ドアに群がっていました。そこに2名の男が現れて、テレビカメラも気にせずに窓を破壊して自宅内に侵入すると、そのまま永野の殺害に至りました。この映像はマンションの安全性を根幹から揺るがすことになります。その後の90年代の凶悪事件や、マンションには営業や宗教の勧誘が多くきていたこともあり、オートロックは一気に普及することになります。
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また防犯カメラも価格低下に伴って、90年代に普及しました。カメラの価格が下がったことに加え、記録媒体が磁気からハードディスクに移行して価格低下が進んでいるため導入しやすくなったのです。ハードディスクの価格は年々下がっていき、導入のハードルは年々下がっていきました。こうして90年代にはマンションの標準設備とまでは言えないものの、多くのマンションに防犯カメラが設置されていきました。
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そしてマンションの仕様に大きな影響を与えたのが、95年に発生した阪神淡路大震災です。1月17日午前5時46分にマグニチュード7.3の巨大地震が明石海峡を震源として発生しました。死者6000人以上、負傷者4万3000人、家屋被害は2万件を超えており、世界的に見ても戦後最大の地震被害でした。この地震以降、マンションの耐震性に対する関心が急速に高まります。地震が直撃したエリアでも倒壊したマンションとしなかったマンションがあり、床スラブや壁が厚くして耐震性をアピールするデベロッパーが増加します。
90年代の不動産市況
バブル景気が崩壊しても、マンション市場は活気がありました。高額になりすぎたマンション価格が落ち着きを見せてきたからです。バブル景気崩壊によって都心の地価が下落し、サラリーマンには手が出せないほど高額になっていた80年代から一転して、マンション価格は一時的に下落していきます。さらに住宅ローン金利も下がりました。80年代には最大8%台になったローン金利(変動型)は2%台に下落していき、バブル景気の時よりお買い得感が出ました。
これにより都心回帰が始まり、都心のマンションが好調な売れ行きになっていきます。そのため再びマンション価格は上昇していき、95年のマンション平均価格は最高値になりました。しかしここから再びマンション価格は下落していき、90年代後半は低いローン金利と相まって第六次マンションブームといえるようになっていきました。80年代にマンションを購入した人がローン破綻するのが社会問題になる中で、モデルルームには来場者が殺到する歪な状態になったのが90年代の特徴と言えるでしょう。
ゆとりローンの開始
このマンション販売の好調さを支えたのが、住宅金融公庫(現在は住宅金融支援機構)が始めた「ゆとり返済」です。収入が少ない若い世代のために、最初の5年から10年間(ゆとり期間)の返済額を低く設定して、その差額を11年目以降に支払うものでした。そのため11年目から大幅に返済額が増加して、人によっては支払額が2倍にもなったようです。
このローンは終身雇用と、給料が上がり続けることが前提でした。しかし実際には終身雇用は崩壊し、給料も上がり続けませんでした。そのためローン破綻する人が続出し、ゆとりローンを利用した6人に1人が破綻するまでになりました。ゆとりローンは欠陥ローンだと批判されることになり、社会問題となっていきました。
代表的なマンション
①プレステージ浜田山
1990年に東京の杉並区で竣工したマンションです。京王線「浜田山」駅から徒歩8分の好立地で、SRC造3階建てで35戸の小規模マンションです。東急建設が施工し東急不動産が分譲した東急ブランドのマンションで、1670坪の広大な敷地にふんだんに植栽が植えられており、環境共生の先駆けになりました。
②センチュリーパークタワー
1999年に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の54階建てのマンションです。三井不動産が売主で日本設計と三井建設が設計し、三井建設と大成建設が施工しました。総戸数は756戸の大規模物件で、東京都中央区の月島に建設されました。石川島播磨重工業(IHI)の東京工場跡地に建設され、東京ウォーターフロント開発の先駆けになりました。
防犯性の高いキーシステムや24時間有人警備システム、防犯カメラも敷地内に多く設置してあり、建物の前に交番があることもセールスポイントになっていました。また共用施設の充実がうたわれていて、展望ロビーやラウンジ、ゲストルームなど豪華な設備も話題になりました。
まとめ
90年代はバブル崩壊により、社会不安が増大しました。倒産企業が増えてリストラの増加、就職氷河期が訪れた結果、離婚率も増加しました。80年代から続く家族の崩壊は進み、凶悪犯罪の増加や阪神淡路大震災が社会的に暗い影を落とした時代です。テレビドラマの件で触れませんでしたが、この時代に最も高い視聴率を誇ったのは木村拓哉と山口智子が主演した「ロングバケーション」でした。売れないピアニストと落ち目のモデルの恋愛を描いたドラマで、今はうだつが上がらないけどきっと大丈夫だという、かすかな希望を残していました。まだこの頃は楽観的な空気があったのです。
この時代、マンションはセキュリティ性と耐震性が重要になります。そして90年代後半からタワーマンションが盛んに建設されるようになり、これが00年代のタワーマンションブームに繋がることになりました。
こちらの連載はいつも楽しみにして読んでいます。やはり時代によって住宅に求められる間取りや機能が変わっていく変遷が面白く、現代の家屋を眺める上でも参考になります。
記事中でも触れられていますが、確かに阪神大震災以降から住宅については耐震性がとかく議論されるようになったことを、当時子供でしたがはっきり覚えています。近年、具体的には2010年代中盤以降からはゲリラ豪雨による浸水被害が多発したからか、ハザードマップという単語が徐々に認知されるようになってきているように思え、こうした災害の積み重ねが社会の一般常識形勢に繋がっていくのだと思えてきます。
コメント、ありがとうございます。
ゲリラ豪雨という言葉はメディアが2003年頃から使い出したと思うのですが、私が社内で対応を求められたのが2010年頃だったと思います。過去のゲリラ豪雨の事例を国会図書館で新聞記事を探したりしました。また2000年代初頭に役所にハザードマップが欲しいと言ったら驚かれていましたし、担当者が過剰なくらい説明してくれました。作ってはいるものの、誰も欲しがらないので嬉しかったのだと思います。
ご指摘のように、災害の積み重ねが社会全体の意識を変えていっています。その積み重ねが現代の住宅にも生きているので、過去を知ることは現在を知ることになると思います。